2011/01/25

あきらめ

 昨年末に龍馬のことを書いていました。たまたまこの数日龍馬の名言「世の人は我を何とも言わば言え、我成すことは我のみぞ知る」が頭の中を巡らしていました。


 これはある種の開き直りでしょうがきっともっとすすんである種の「あきらめ」でしょう。ただ「あきらめ」は自分自身が何かをあきらめるということではなく周囲に理解されるなぞということをあきらめたことだと感じます。あきらめとは「芽が出ること」という目から鱗のお話をある方から伺ったとき「成る程!」とピンときたことがありました。あきらめから芽が出て何かが始まる。という意味でした。


 あきらめない時やあきらめきれない時は思い込みが強いということがあります。その思い込みが目を塞ぐのでしょう。しかしあきらめた時、やがて靄(もや)が晴れてくっきりと真の姿が現れます。龍馬の名言にあきらめを感じます。深くひろーい懐を感じます。


 死んだ気でやるというのもあきらめれない状態で必死になることではなくあきらめからやってくるのでしょう。自分自身の中から産まれる本当にやるべきことにぶち当たった時、他者の目は全く気にならないものです。気にも留めないという状態でやるべきことをやり続ける。それはあきらめから産まれる。九州に戻って元気な木々や残り雪から感じとったことでした。




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