2010/09/23

リテラシー

 あるネット番組で小沢一郎さんに非常に近い元参議院議員の方が民主党代表選前後の舞台裏を話していました。聞き手は経済学者。約1時間裏話が続いた後に元議員が平将門、家康、龍馬、そして今回の小沢さんの決断に共通するものとして妙見菩薩の信仰があると話し出しました。妙見信仰は北辰信仰につながり、将門の後は千葉氏が継いだと言います。千葉氏といえば龍馬が学んだ千葉道場は北辰一刀流ですがまさに将門の流れを汲み、北辰は北極星のことで宇宙の中心にある星という意味だそうです。


 そして千葉道場の末裔と小沢さんの縁戚関係等に触れて今小沢さんがやんごとなく動いているのは将門から、龍馬へと繋がっていった星の元、妙見菩薩にあるというような話が続きます。この話になったとたん司会の経済学者さんは目を白黒させて冗談として聞いているようでした。案の定、話についていけなくなった司会者は冗談だったようにして対談を終えますが元議員の方は益々快活に滔々と将門、龍馬、小沢一郎の妙見説を唱えます。元は司法に関わっていた方ですがこのような話が縦横無尽にできるところが保守系人材の壁の厚さだなと感じました。


 一貫して人間を真ん中においてこそ政治はあると主張されていました。片やもうひとつの陣営の皆さんはどうしても人間の顔が見えません。代表選の演説で菅総理が党にいる人材として延々と職業を並べていましたが正直言ってあれには呆れました。散髪屋さんや、八百屋さん、工員さんや漁師さんの名前は出ませんでしたがそれでも菅さんは奇兵隊を標榜するのです。


 今の情報化時代は物事を隠せないのでいずれにしろ人間力が出てしまいます。テレビの影響がまだ大きいのはネットがまだ道具として使いにくいからでしょう。そういう意味では地デジ化というのはテレビを見るものとしてさらに深化させる方向だといえそうです。








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2010/09/14

極意

 未来を生きるという言葉はありますがなかなか真の意味をわかるのは難しいと考えてきました。先日ある人の話を聞いていて「あっそうか!」とピンと来ました。ある人が今従事している仕事を退職しても、人のため地域のためのメディアを作ったり発信したりすることを考えはじめた時、発想はあるけれど実際のメディアの作り方や発信の仕方、まして人のためになったり地域のためになるということは具体的にどうするといいのかは全くわからないということでした。


 実際にその人が書いた企画書というか課題と解決策を整理したものを読ませてもらうとわたしがこれまでに考えてきたことや、その解決のために具体的にやってきたことがそのまま書かれていると感じました。最近自分自身の経歴を振り返っていると今この人が考えているようなことを約30年ほど前に自分自身が考えてきたこととオーバーラップします。しかし当時はわたしの発想は周囲には全く理解されませんでした。


 民放でやっている番組づくりのノウハウを住民の皆さんに公開し、放送枠を開放し、地域振興に役立ててもらおうというものでした。当時はビデオカメラが一台700万から1000万円しましたし、編集は大きな機械が居並び、触るだけでも大変でした。1時間の使用料金が数万円にもなりました。編集には数十時間もかかるのであっという間に100万、200万円になっていました。放送枠は飛び切り高くてあまり見てもらえない時間帯に(いわゆる視聴率の悪い時間帯です)ちょっと放送したいと考えるだけで少なくとも数百万円用意しないと出来ませんでした。ですからわたしの発想は普通に考えると飛んでもない非常識な考えということになっていました。


 わたしの企画に快く協力してくれていた全国的に有名な芝居小屋の座長さんからは「お前がやろうとしていることはNHKがやることだ、NHKにまかせろ」とよく言われました。しかし自分で場をつくりながらやり続けてきました。あれから約30年、わたしが当時考えたことをテレビとは関係ない世界からやろうとする人が次々と出てきました。もう700万円のカメラは不要で放送枠に代わるネットもあり編集は何時間かかっても費用は電気代ぐらいです。しかも元々わたしは今のテレビでないとだめなことをやろうとしていたのではなく、番組づくりのプロセスに非常に優れたコミュニケーション機能があり短時間で大きな効果を上げるチームワークづくりになるということを発見し、それを提供しようと考え続けてきたのです。


 それは一人で作る番組作品制作ではなく番組中継等のグループでやる番組づくりです。コミュニケーションとチームワーク、その二つの力は地域づくりに大いに役立つのです。メディアを作ることが目的でなくて手段であり自分の生きる姿勢が地域での恊働の牽引役に必要な前提条件です。


 地域にとってよそ者であっても自分自身がその地域課題を解決する当事者として生き、ガチンコを避けず、傍観者ではなく参画することです。









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2010/09/12

 Twitterである方が昨夜窓から夜空を見ながら「昔は田舎で星がよく見えていたのに・・」というつぶやきをみつけ、おもわず「東峰村、満天の星、キラキラ」とつぶやいてしまいました。昨夜は何度か庭に出て満天の星を眺めていました。ちょうど午前3時頃が一番出てました。東峰村の事務所は車が10台はゆうにとめれるスペースがあるのでよく夜中にロッキングチェアを持ち出して寝転がって見ています。最高の贅沢です。


 東峰村は伝説もあるのです。岩屋神社は欽明天皇の8年(547年)隕石が落ちてきてそれをご神体としたという伝説です。夜空をぼんやりと見ていると流れ星に会い、またしばしば稲光りがあります。昔の人はいつもこうして星空を見ていたのだろうし、星の動きに敏感だったのだとおもいます。


 たまたま一昨日大熊座はどっちに見えるか?等という話をきいていたのでイメージしますがさっぱりわかりません。神秘的な輝きを見つめているとやはり日常生活にはなかなか出て来ない感覚や地球上に生きているという実感が蘇ります。宇宙も感じます。しかしまだまだ飛び回る蚊がいつの間にか忍びよって来ていて堪らずに家に入りました。


 田舎の人は空気と同じであまり星だって騒ぐことも無いのでしょうがこういう星空の経験は毎日一体どれぐらいの人達がしているのでしょう?東京の地下鉄で毎日疲れ切って寝ているサラリーマンの皆さんにこの素晴らしい神秘の夜を経験させてあげるとすっかり癒されるでしょう。何とかセラピーやマッサージなどとは比較にならないものです。


 夜のしじまに耳を澄ませると田んぼの水路や川に「ぽちゃ」と何かがはねるかすかな音もします。聞こえるか聞こえないかの自然音にも敏感に耳は働きます。かえる、こおろぎ、鈴虫・・・・、名もわからぬ虫の音が交響楽のようにやさしく響き心地よい星空の音楽です。


 最近は星を感じて何度も目がさめます。表に出て見上げるとなるほどあいつが呼んだのか、とおもってしまうほどキラキラ輝いている星が必ずあります。村には人間以外にも仲間がいっぱいです。



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2010/09/10

 一瞬の出会いをキャッチする感受性について今朝、村のゴミ出しの帰りに考えました。その瞬間は自然との出会いでした。ゴミを出した帰り道、東峰村の山々が霧におおわれ頭は出していますが北斎の浮世絵の富士のように、・・・、そう!あの富士の光景に今朝東峰村で出会ったのです。


 現代的な頭は瞬間携帯で写真を撮ろうとしたのですが車を止める場所を選んでいるうちにあっという間にその光景は失せました。心の裡にはしっかり焼き込まれましたので写真はなくてもいいのですが例えば本当の芸術家はあの瞬間にシャッターを押すのでしょうし、北斎のような絵心がある人はしっかりと焼き付いた富士を絵筆で再現するのでしょう。その瞬間は音楽にもなっています。が、わたしには奏でることはできません。
 
 自分はなぜ、こんなことにこだわるのでしょう?答えは他者にこの出会いのチャンスが山ほどあるこの東峰村の生活を伝えたいから、というのがひとつです。なぜ?伝えたい?・・・・、答えは俗世間的なことから内面深いことまでいろいろとあります。ここが芸術家と違うところでしょう。生活人と芸術家を交ぜくって1個にしてしまうようなある何かを自分には感じます。人であり、自然であり、共同体や自分自身の生活史もあります。畢竟、人はただ一つの自分だけの道を見いだし真っすぐすすめるかどうか、というところに落ち着きます。


 僕のまえに道はない、僕のうしろに道はできる。


 中学、高校生の頃なんとなく「当たり前だよな」と感じていた高村光太郎の詩、一瞬の光景の連続を感じればばこの詩は響きます。久しぶりに光太郎に出会えたのは今朝のゴミ出しのおかげでした。


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2010/09/03

勝負

 民主党代表選の共同会見での両候補の演説が人物を語っているという書き込みやお知らせがネットで非常に勢いよくあがってきています。なかなか見れませんでしたが先ほど半分ほど見ました。なるほど、というかやっぱりという感じで聞いていました。


 圧倒的に小沢さんのことば、真摯に話す姿勢が響いてきます。菅さんも想像通りで、通り一遍の現職ならではの、または誰かにレクチャされたかのような話でした。これは中身は当然ながら話す姿勢が日頃をすべて表現してしまっていますので隠しようも飾りようもないものです。わたし的には勝負あった!の会見でした。


 しかしネット上でいろんな方がおっしゃっているのはこの会見全部がそのままマスコミ上で伝えられず一部が切り取られて伝えられていくことです。ただ少なくともそのままを見る機会がネットの進歩でできるようになってきたことやそれを見てすぐに知らせる道具が日常的になってきたことがこの潮流を大きく変えることになっていくでしょう。今回の代表選自体にどこまで影響するかはわかりませんが少なくともお二人の考え、政治信条、信念、時代の捉え方、解決策への自信、自分の役割への自覚などなど一言一言に見事に表れてしまっています。


 このことはわたしたち自身に戻ってくることで、もうカッコつけたり表面的なことでお茶を濁したりできる時代ではなくなってしまいました。そういう意味で小沢さんの洞察力や一貫した政治行動、行為、日本を何とかしようとする気概、責任感などはこの会見のことばに全部表されていると感じます。一貫してないとか、金で動いているようなイメージが作られてきましたがその事自体(イメージをつくり出した側の狙い)が逆にあらわになってしまうという時代、日頃の自分の生き方でしか勝負できない時代です。


 今はまだまだ比較の対象にもなりませんが住民ディレクターNewsにも書いたのですが東峰村のような小さな村で起こっていることは実はとても大事なことがいっぱいあってもマスコミにはまず載りません。だから自分たちで発信することが必要です。福岡県で最も遅れていた地域に光が通り、ケーブルテレビができます。重要なことならあっという間に日本中に伝わる最低限の道具がやっと備わりました。


 誰とどんな勝負をするのかは今はさておいて、勝負するスタートラインの少し手前にやっとお仲間入りしたというところが現在の東峰村の状況かな、と感じます。恊働、共創と言われる時代ですから切磋琢磨するための道具と捉えていますが、逆に力量が問われる時代でもあるのでどっちに転んでも内発的な力でやり続けられるかどうかが勝負です。





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