2010/12/31

我のみぞ知る

 この一年といってもほとんど覚えてないのが実情です。色々とありましたし色々とチャレンジしてきましたが結果オーライ、まさにNow&Here いまここに未来がある感覚は益々強いのです。


 落ち着いてゆっくりと迎える年の瀬、まもなく新年。我ながら今を象徴している過ごし方といえます。一人。原点。
 「世の人は我を何とも言わば言え、我が成すべきは我のみぞ知る」というような句を10代の龍馬が詠んだという。なかなかの名句です。この世の中で生まれ持った自分の資質を生かしきることこそ生きる意味。


 真の資質を見抜けるには他者の存在が大きい。明らかに自分とは違う他者の存在。違いを追求していくと自分にしかないものがはっきりとしてくる。大きな他者との出会いこそ我れを知るチャンス。せっかく出会っても生かせなければ無に等しい。


 生かすには自分自身もとことんやりきっていかないと見えない。その時にこそ龍馬の句がはっきりと浮かび上がってくる。時代は幕末とも違う。健康に人生を生き切ること。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/12/23

静の東京

 火の神、山の神の映像編集をしてから東京に入ったのですが静かな東京の空気に驚いていました。ところが今日は祝日、ということが先ほどわかってそれもあって静かなんですね。しかし飛行機から見えた富士山は少し元気がないように感じました。いつもよく見ていますが今日はシャキッとして無い感じでした。その地つづきで東京に入っても何となく寂しい感じが残っているのかも知れません。東峰村は元気です。大地から元気だとよく感じています。時代が動いていることを表しているのでしょう。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/12/04

神々からのお誘い

 八百万人紀行は八百万(やおよろず:多種多様な)の神々が住む日本には同じく八百万の人々が住んでいることからその人々を訪ね歩くことを表現したものです。


 東峰村に来たのはそのホームグランドになるような直観があったからですが、約3ヶ月住んできていよいよ八百万の神々のお声がかかってきました。一昨日はおなじみ梶原伯夫さんの地区で山の神祭りがありましたが今日はがらんど?という火之神祭りがある地区であるそうで昨夜電話が入りました。田んぼの真ん中に大きな岩があってそこをお参りしてからみなで祝うそうです。


 5日は別の地区でやはり山の神祭りがあります。たまたま取材をする予定で話題を探していた地区で向こうから山の神祭り参加のお誘いをいただきました。10日には3軒しかないという集落に区長さんとご一緒しますがこの訪問も楽しみです。


 最近はいろんな地区や様々な方々からお誘いを受けるので毎日が集落歩きのようなものです。とうほうTVが自然と集落テレビの態をなしてきたのでとても面白い動きが生まれていると感じます。




八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/10/30

テレビ文化

  平成5年に熊本県の免田町(現在は合併してあさぎり町)でご先祖であるクマソのことをテーマにドラマを制作したときに番組の時間の流れ方を考えました。

   普段は東京や大阪などの都市住民が視聴者の中心に置かれて作られる番組はテンポは速く次々とシーンが変わります。ドラマだってトレンディードラマといわれ映像効果も華々しくCMのように瞬きしている間に次々とシーンが変わっていきます。音楽は常に流れ効果音もひっきりなしです。

 昭和28年に生まれたテレビはそうやって時代の動きに合わせるかのように、いや時代を強引に牽引するかのように速いテンポで次々と変わる映像と音楽で商品を売ってきました。いかにも美味しそうでいかにも買ってみたい車や電気製品、衣料がかっこいいモデルとともに出てきます。実にわたしたちは57年に渡ってこのテレビのスピードや演出、映像、音楽に親しんできました。地元の神楽の笛太鼓や祭りのお囃子よりも流行歌やロックやジャズを見聞きする機会が圧倒的に多いのです。テレビをつけている限り。

 東京や大阪だけではなくこの57年間は中山間地や離島などの過疎町村に住んでいても頭は東京や大阪の住民と同じように都市的なテレビテンポになってしまいました。地域活性化を考えたときに免田町のある役場職員は先祖クマソの生活文化の底流に流れる感覚を取り戻さないとすすまないと感じていました。免田町には素晴らしい臼太鼓踊りという伝統文化があります。ゆったりと流れる時間の中で今でも地区の座元の庭先で踊られる臼太鼓踊りはテレビのスピードとは全く違って悠久の歴史を歩んできたクマソの生活をそのまま感じさせます。そこでクマソ復権のドラマ作りではテレビ時間に迎合せずにクマソ時間を堂々とテレビの時間帯に登場させることにしました。

 県内でもどこの市町村もテレビ時間に慣れていますからクマソ時間は違和感があると予測しましたが、何よりも免田町の方々がこのゆったり時間がぴったりきたようでした。しかも放送後の県民の感想も最初は何となくテンポが遅くて違和感があったけれど次第に慣れるととても面白く見れてきた、という意見が結構多かったのです。東峰村で今この免田町のことを思い出しています。

 毎週1時間番組を更新しますが最初は周囲に溢れている都市的テレビの時間とはがらりと変わります。それは承知の上でとうほうTVはとうほう時間を取り戻していくための役割を担っていきます。3ヶ月もすればすっかりこのとうほう時間に慣れてくるはずです。急激な変化はなかなか受け入れられにくいので徐々に徐々に変化していきながら何よりも村民のみなさんに自分たちのテレビとして育てていただけるように今は耕している最中です。カルチャーは「耕す」と訳しそれが文化ということはとても納得がいくことです。




八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/10/24

文化

 この1週間で東峰村から東京、そして東峰村から兵庫をそれぞれ1泊で往復して来ました。昨年までは東京と関西が一月のうちの3分の2ぐらいの生活をしていましたがこの8月から比重ががらりと変わりました。今は東峰村が3分の2で残りが各地です。本気で東京で借りている部屋をやめようかとおもっています。


 さて、東京の地下鉄に乗り、兵庫の列車に乗っていてずっと感じていたのは乗客の顔の表情の魅力の無さです。ほとんど眠りこけているようなサラリーマンやオフィスレディ?、携帯電話を睨みつけながらひたすら指の操作に専念している若い女性たち、とにかく恐い形相をしています。余計なお世話ですがビデオで撮ってテープを見せてあげようか、などと皮肉りたくなるほどの恐ろしい顔です。一点を見つめて他を顧みない固まった顔・・・、とにかくあまりまともな顔に出会いません。


 時たま東峰村にもいそうな素朴な表情の人がいて目が合うと思わずニッコリとしてしまいます。何となく通じているのか?相手も気持ち悪がるでもなくニコッとしています。同じような気持ちでまわりの形相にため息が出ていたのかも知れません。東峰村に住み込んでから出会う皆さんの毎日の表情は豊かです。自然が美しく空気も水もおいしく、五感全体にやさしい気持ちを感じますがこれほど贅沢なことはないと感じます。


 六本木のむらおこしをしている頃はむしろ東京の木々のほうが元気でピカピカしていると感じた頃もありました。雑踏から溢れ出すエネルギーの力強さにひかれたときもありました。しかし、今は都会に再び力がなくなり東峰村のような田舎の自然とひとが無理なく融合している地域がやさしく力を発揮しているのを感じます。女性は化粧はあまりしてませんが自然派できれいですし、都会の女性のあの独特のツンとした感じがないのが何よりも安らぎます。ツンはツンで女性のある魅力につながるところもありますが、ほどほどでないと本人もしんどいでしょう。


 流行ということから考えるとやはりテレビが代表するメディアからのイメージに乗せられているようにみえます。本当に魅力的な人はどこにいてもいつも変わらずきれいです。心が顔にそのまま出ます。映像になると隠しようが無いほど露に出ます。豊な自然と溶け合って生きておられる方々は動きがきれいです。ここから文化や芸術が生まれて来たことを感じる今日この頃です。東峰村のテレビが新しい文化になって行く姿がみえます。



八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/10/17

テレビ局を辞めた理由

 じいちゃんばあちゃんと相性がいいのは子どもの頃ばあちゃんに育てられていたからだとおもいます。基本的にばあちゃんは孫を可愛がりますしわがままが許されるので自分の好きなように振る舞うというのが自然と身についているのでしょう。長野の住民ディレクター講座でテレビ局を辞めた日のことを話していましたがある日突然の退職に至ったのも自分がやろうとしていることができない、違うことをやらされることにそのまま反応してしまったといま振り返ります。


 やろうとすることがあるのにそこ(テレビ局)ではできないことがはっきりして考えていることをやるための選択が「会社を辞める」であって結局は創ることでした。新しい場を創る。ある日のある晩、ある仕事をわたしにやらせようとする上司にその場で会社を辞めますと伝え帰ってきてしまったのは若気の至りとかではなくリンゴが熟してぽとりと落ちるようなものでした。実際に辞めたのは事務処理をしたり引き継ぎをして2ヶ月ぐらい後になりましたが気持ちはその夜に切れていました。


 決断というのはそういうものなんでしょう。あれこれ迷って決断するときもありますが自分の中でやれることを次々とやってきて次もハッキリ見えているのにそれができないならできるように決断する。少なくともあれから15年、今日現在はあの決断は正解でした。あの頃に構想していたことが目の前にきています。ずっとやってきましたから。




八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/09/23

リテラシー

 あるネット番組で小沢一郎さんに非常に近い元参議院議員の方が民主党代表選前後の舞台裏を話していました。聞き手は経済学者。約1時間裏話が続いた後に元議員が平将門、家康、龍馬、そして今回の小沢さんの決断に共通するものとして妙見菩薩の信仰があると話し出しました。妙見信仰は北辰信仰につながり、将門の後は千葉氏が継いだと言います。千葉氏といえば龍馬が学んだ千葉道場は北辰一刀流ですがまさに将門の流れを汲み、北辰は北極星のことで宇宙の中心にある星という意味だそうです。


 そして千葉道場の末裔と小沢さんの縁戚関係等に触れて今小沢さんがやんごとなく動いているのは将門から、龍馬へと繋がっていった星の元、妙見菩薩にあるというような話が続きます。この話になったとたん司会の経済学者さんは目を白黒させて冗談として聞いているようでした。案の定、話についていけなくなった司会者は冗談だったようにして対談を終えますが元議員の方は益々快活に滔々と将門、龍馬、小沢一郎の妙見説を唱えます。元は司法に関わっていた方ですがこのような話が縦横無尽にできるところが保守系人材の壁の厚さだなと感じました。


 一貫して人間を真ん中においてこそ政治はあると主張されていました。片やもうひとつの陣営の皆さんはどうしても人間の顔が見えません。代表選の演説で菅総理が党にいる人材として延々と職業を並べていましたが正直言ってあれには呆れました。散髪屋さんや、八百屋さん、工員さんや漁師さんの名前は出ませんでしたがそれでも菅さんは奇兵隊を標榜するのです。


 今の情報化時代は物事を隠せないのでいずれにしろ人間力が出てしまいます。テレビの影響がまだ大きいのはネットがまだ道具として使いにくいからでしょう。そういう意味では地デジ化というのはテレビを見るものとしてさらに深化させる方向だといえそうです。








八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/09/14

極意

 未来を生きるという言葉はありますがなかなか真の意味をわかるのは難しいと考えてきました。先日ある人の話を聞いていて「あっそうか!」とピンと来ました。ある人が今従事している仕事を退職しても、人のため地域のためのメディアを作ったり発信したりすることを考えはじめた時、発想はあるけれど実際のメディアの作り方や発信の仕方、まして人のためになったり地域のためになるということは具体的にどうするといいのかは全くわからないということでした。


 実際にその人が書いた企画書というか課題と解決策を整理したものを読ませてもらうとわたしがこれまでに考えてきたことや、その解決のために具体的にやってきたことがそのまま書かれていると感じました。最近自分自身の経歴を振り返っていると今この人が考えているようなことを約30年ほど前に自分自身が考えてきたこととオーバーラップします。しかし当時はわたしの発想は周囲には全く理解されませんでした。


 民放でやっている番組づくりのノウハウを住民の皆さんに公開し、放送枠を開放し、地域振興に役立ててもらおうというものでした。当時はビデオカメラが一台700万から1000万円しましたし、編集は大きな機械が居並び、触るだけでも大変でした。1時間の使用料金が数万円にもなりました。編集には数十時間もかかるのであっという間に100万、200万円になっていました。放送枠は飛び切り高くてあまり見てもらえない時間帯に(いわゆる視聴率の悪い時間帯です)ちょっと放送したいと考えるだけで少なくとも数百万円用意しないと出来ませんでした。ですからわたしの発想は普通に考えると飛んでもない非常識な考えということになっていました。


 わたしの企画に快く協力してくれていた全国的に有名な芝居小屋の座長さんからは「お前がやろうとしていることはNHKがやることだ、NHKにまかせろ」とよく言われました。しかし自分で場をつくりながらやり続けてきました。あれから約30年、わたしが当時考えたことをテレビとは関係ない世界からやろうとする人が次々と出てきました。もう700万円のカメラは不要で放送枠に代わるネットもあり編集は何時間かかっても費用は電気代ぐらいです。しかも元々わたしは今のテレビでないとだめなことをやろうとしていたのではなく、番組づくりのプロセスに非常に優れたコミュニケーション機能があり短時間で大きな効果を上げるチームワークづくりになるということを発見し、それを提供しようと考え続けてきたのです。


 それは一人で作る番組作品制作ではなく番組中継等のグループでやる番組づくりです。コミュニケーションとチームワーク、その二つの力は地域づくりに大いに役立つのです。メディアを作ることが目的でなくて手段であり自分の生きる姿勢が地域での恊働の牽引役に必要な前提条件です。


 地域にとってよそ者であっても自分自身がその地域課題を解決する当事者として生き、ガチンコを避けず、傍観者ではなく参画することです。









八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/09/12

 Twitterである方が昨夜窓から夜空を見ながら「昔は田舎で星がよく見えていたのに・・」というつぶやきをみつけ、おもわず「東峰村、満天の星、キラキラ」とつぶやいてしまいました。昨夜は何度か庭に出て満天の星を眺めていました。ちょうど午前3時頃が一番出てました。東峰村の事務所は車が10台はゆうにとめれるスペースがあるのでよく夜中にロッキングチェアを持ち出して寝転がって見ています。最高の贅沢です。


 東峰村は伝説もあるのです。岩屋神社は欽明天皇の8年(547年)隕石が落ちてきてそれをご神体としたという伝説です。夜空をぼんやりと見ていると流れ星に会い、またしばしば稲光りがあります。昔の人はいつもこうして星空を見ていたのだろうし、星の動きに敏感だったのだとおもいます。


 たまたま一昨日大熊座はどっちに見えるか?等という話をきいていたのでイメージしますがさっぱりわかりません。神秘的な輝きを見つめているとやはり日常生活にはなかなか出て来ない感覚や地球上に生きているという実感が蘇ります。宇宙も感じます。しかしまだまだ飛び回る蚊がいつの間にか忍びよって来ていて堪らずに家に入りました。


 田舎の人は空気と同じであまり星だって騒ぐことも無いのでしょうがこういう星空の経験は毎日一体どれぐらいの人達がしているのでしょう?東京の地下鉄で毎日疲れ切って寝ているサラリーマンの皆さんにこの素晴らしい神秘の夜を経験させてあげるとすっかり癒されるでしょう。何とかセラピーやマッサージなどとは比較にならないものです。


 夜のしじまに耳を澄ませると田んぼの水路や川に「ぽちゃ」と何かがはねるかすかな音もします。聞こえるか聞こえないかの自然音にも敏感に耳は働きます。かえる、こおろぎ、鈴虫・・・・、名もわからぬ虫の音が交響楽のようにやさしく響き心地よい星空の音楽です。


 最近は星を感じて何度も目がさめます。表に出て見上げるとなるほどあいつが呼んだのか、とおもってしまうほどキラキラ輝いている星が必ずあります。村には人間以外にも仲間がいっぱいです。



八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/09/10

 一瞬の出会いをキャッチする感受性について今朝、村のゴミ出しの帰りに考えました。その瞬間は自然との出会いでした。ゴミを出した帰り道、東峰村の山々が霧におおわれ頭は出していますが北斎の浮世絵の富士のように、・・・、そう!あの富士の光景に今朝東峰村で出会ったのです。


 現代的な頭は瞬間携帯で写真を撮ろうとしたのですが車を止める場所を選んでいるうちにあっという間にその光景は失せました。心の裡にはしっかり焼き込まれましたので写真はなくてもいいのですが例えば本当の芸術家はあの瞬間にシャッターを押すのでしょうし、北斎のような絵心がある人はしっかりと焼き付いた富士を絵筆で再現するのでしょう。その瞬間は音楽にもなっています。が、わたしには奏でることはできません。
 
 自分はなぜ、こんなことにこだわるのでしょう?答えは他者にこの出会いのチャンスが山ほどあるこの東峰村の生活を伝えたいから、というのがひとつです。なぜ?伝えたい?・・・・、答えは俗世間的なことから内面深いことまでいろいろとあります。ここが芸術家と違うところでしょう。生活人と芸術家を交ぜくって1個にしてしまうようなある何かを自分には感じます。人であり、自然であり、共同体や自分自身の生活史もあります。畢竟、人はただ一つの自分だけの道を見いだし真っすぐすすめるかどうか、というところに落ち着きます。


 僕のまえに道はない、僕のうしろに道はできる。


 中学、高校生の頃なんとなく「当たり前だよな」と感じていた高村光太郎の詩、一瞬の光景の連続を感じればばこの詩は響きます。久しぶりに光太郎に出会えたのは今朝のゴミ出しのおかげでした。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/09/03

勝負

 民主党代表選の共同会見での両候補の演説が人物を語っているという書き込みやお知らせがネットで非常に勢いよくあがってきています。なかなか見れませんでしたが先ほど半分ほど見ました。なるほど、というかやっぱりという感じで聞いていました。


 圧倒的に小沢さんのことば、真摯に話す姿勢が響いてきます。菅さんも想像通りで、通り一遍の現職ならではの、または誰かにレクチャされたかのような話でした。これは中身は当然ながら話す姿勢が日頃をすべて表現してしまっていますので隠しようも飾りようもないものです。わたし的には勝負あった!の会見でした。


 しかしネット上でいろんな方がおっしゃっているのはこの会見全部がそのままマスコミ上で伝えられず一部が切り取られて伝えられていくことです。ただ少なくともそのままを見る機会がネットの進歩でできるようになってきたことやそれを見てすぐに知らせる道具が日常的になってきたことがこの潮流を大きく変えることになっていくでしょう。今回の代表選自体にどこまで影響するかはわかりませんが少なくともお二人の考え、政治信条、信念、時代の捉え方、解決策への自信、自分の役割への自覚などなど一言一言に見事に表れてしまっています。


 このことはわたしたち自身に戻ってくることで、もうカッコつけたり表面的なことでお茶を濁したりできる時代ではなくなってしまいました。そういう意味で小沢さんの洞察力や一貫した政治行動、行為、日本を何とかしようとする気概、責任感などはこの会見のことばに全部表されていると感じます。一貫してないとか、金で動いているようなイメージが作られてきましたがその事自体(イメージをつくり出した側の狙い)が逆にあらわになってしまうという時代、日頃の自分の生き方でしか勝負できない時代です。


 今はまだまだ比較の対象にもなりませんが住民ディレクターNewsにも書いたのですが東峰村のような小さな村で起こっていることは実はとても大事なことがいっぱいあってもマスコミにはまず載りません。だから自分たちで発信することが必要です。福岡県で最も遅れていた地域に光が通り、ケーブルテレビができます。重要なことならあっという間に日本中に伝わる最低限の道具がやっと備わりました。


 誰とどんな勝負をするのかは今はさておいて、勝負するスタートラインの少し手前にやっとお仲間入りしたというところが現在の東峰村の状況かな、と感じます。恊働、共創と言われる時代ですから切磋琢磨するための道具と捉えていますが、逆に力量が問われる時代でもあるのでどっちに転んでも内発的な力でやり続けられるかどうかが勝負です。





八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/08/26

テレビ

 テレビ局でディレクターやプロデューサーをやらせてもらっていた頃は相当傲慢な人間だったと今振り返ります。その傲慢を支えた背景は何だったのか?と考えるとテレビ局というブランドではあるのですがテレビ局を退職してからも傲慢ならもっと別の背景があるはずです。


 テレビという道具の中に居るからといって傲慢になる理由は全く見つかりませんが、テレビは魔物です、人を変えます。これだけネットが強い力を持ち出してもやはり民放やNHKの番組に出るということがステータスになっています。有名病にかかってない相当な人物でもです。そこがテレビにこだわる理由でもあります。


 単純に人はテレビが好きです。見ることからはじまりましたが出ることや作ることがとても好きです。好きこそものの上手なれの言葉通りで57年目を迎えたテレビの歴史はもう少しは残りそうです。しかし、結構いやな目にもあっています、テレビには。この何ともいえない不可思議な箱、テレビ。それでもどうも長いおつきあいになりそうです。



八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/08/14

メディアと文学

 メディア激変というタイトルで朝日新聞が連載をはじめてもうどれくらいになるのでしょう?一応その1ページにはわたしも載せていただいたのですがその後ちょっと滞っています。まとめ読みができるのでいつかと考えているうちに滞ってしまいました。ただこのタイトルは見事だとずっと感じています。


 メディア激変。激変しています本当に、日々の変化が激しく。メディアが変化するということは当然人間関係にも社会にも大きく影響するわけですがここのところがなかなかわかりにくいところでしょう。Twitterかな?どこかで「文学なくして政治、経済を語れないと」書かれていた人がいましたが全く同感です。Twitterは便利ですが自分がフォローする人が増えれば瞬時につぶやきは消え去ってしまうほどその瞬間の出会いです。後で見ようとする人のためにリストで気になる人とテーマなどをピックアップする方法もあります。よく考えています。まだ使いこなしていませんが。


 新しいメディアが登場するとすぐに使い始める一群の人が必ずいますがTwitterで起こっている現象はこれまでの現象とはかなり違ってきていると感じます。そういうメディアです。ただわたし的にはTwitterのおかげで最近やっとSNSが具体的に使えてきました。有効な道具になってきました。地域SNSという地域コミュニティをベースにしたSNSですがTwitterが呼び水になっています。このへんがメディア激変の所以だと感じるのです。


 今までは地域限定なので閉鎖性が指摘されていましたがそんなことは使う側からすると関係ないのです。しかも「Twitterの新しい関係から地域SNSでの新しい関係が生まれる」ということがここで言いたいことです。そういう人間の関係性を現場で創っていく人がそのまま多くのメディアの関係性創っていくのです。新しいメディアの便利さや効用ばかりに目を奪(と)られているとクロスメディアの使い方は見えないでしょう。政治や経済は文学なくして語れない所以です。


 人間のことがよくわかってないと人間の集まりや集団がどのように動いていくかみえないので方向を必ず見失います。文学は当然ながら哲学の時代でもあるのでしょう。が、念を押しておくと高尚な文学、哲学の世間離れした話ではなく生活に根ざした自身の身体から生まれ出る文学であり血肉となった哲学という意味です。



八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/08/12

リーダー

  多分もう20回目だろうと感じる黒沢映画「七人の侍」。昨日誕生日に原点を再度見直した。村を野武士軍団に狙われた村人たちから助っ人を頼まれ6人の浪人を連れて村に入る元軍師の島田勘兵衛にあらゆる社会に通用する人間のリーダー像を見る。

勿論この奥深い大芸術娯楽作品を村おこしの視点だけでみようなどとはつゆとも考えていませんがその視点でみればこれまた多大な収穫がある。勘兵衛の魅力は数えきれない戦(いくさ)を経験しながら全て負け戦だったということから来る「あきらめ」、謙虚さとは違う独特の美学を醸し出していること。常に人間だけをみて戦った結果と読める。

百姓を竹槍強力軍団に鍛え上げ、死闘の結果、野武士軍団との戦いに勝った後同志の4人を失い、田植え歌を賑やかに謳いながらはしゃいでいる百姓達をみつめ「また負け戦だった」との一言が象徴的。「この戦に勝ったのは百姓達だ」。そして残った3人は村を後にする。

盗賊が目をつけ麦が実る頃までの数ヶ月間で勘兵衛の指導力が見事に表現されていく。勘兵衛を尊敬する若侍、塚原卜伝がモデルとされる副長的な立場になる元軍師、同じく宮本武蔵がモデルとされる剣客久蔵、もっとも一番に見込んだのが町に侍を求め探しに出た4人の百姓たちだった。村の長老、・・・。皆勘兵衛に惚れ込んでいく。

防塁を築きつつ鍛錬しながら武士と百姓の文化の違いから来るカルチャーショック的な衝突が続くが、実は百姓なのに武士を名乗る菊千代(三船敏郎)が両方の文化を破壊しつつ重要な局面では新たな動きを作っていくリーダーともなっていく。戦略的イノベーションを起こしていく。その基調は笑いだ。

いやあ本当に素晴らしい映画です。ジェンダーとして見れば木村功演ずる若侍と侍に奪われないようにと男に化けている村の娘志乃の出会い、恋、破局のプロセスは百姓の生き方と武士の生き方がガチンコでぶつかる。しかし愛し合う。見つけた父親は怒り狂い、村のためにかつて妻を野武士に差し出すしか無かった利吉はその親父に「好き同士ならええじゃないか」と怒り心頭で噛み付く。・・・

このまま行くとこの映画の魅力を伝えるにはどうも文章は難しい。総合的、全体的でグローバルな人間関係が織りなす見事な叙事詩です。七人の侍は語り合う映画です。語り合って交流しながらそれぞれの生き方を表現する映画になっています。地域活性化のヒントはひとつはここです。

そろそろ移動の準備があるので一旦切りますがこの話は具体的にどこかの村でやってみたいと考えています。



八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/08/08

商品

 東峰村に住み込みをはじめました。住み込みですからこれまでの3年半とは違って家もあり事務所もあって買い物は基本的には東峰村でするようにします。が、正直言って全部東峰村で済ませるのは難しいですね。


 ひとつはコンビニがないとかスーパーがないということですがそれは結局「欲しいものが安く手に入る」という都会の生活とはかけ離れている状態です。欲しいものの品揃えが無く、だからこそですが高い買い物になる。あるものが限られているのですね。100ショップで済ませたいものまでそれなりのものを買わざるを得ないのです。


 例えばスリッパ、例えば掃除用モップ、何とか100円で済ませられるスリッパが500円、300円で何とかなるモップが2100円になってしまうのです。誤解しないでほしいのですがこれは村の商店を批判しているのではないのです。これが小さな村の現実です。パン屋さんや八百屋さんや薬屋さんがある種みんな雑貨屋さんにならないと商売にならず、必然と置く商品が限られてくるということだと考えています。


 まだ住み込みをはじめたばかりなので詳しく調べたり商店主に実情を聞いた訳ではありませんが恐らくそんな感じだとおもいます。何しろ周囲には高齢者が多いのです。普段の暮らしの中では100円ショップのような商品は売れず、かといって高いと買えないので平均的な商品が少なく置かれているのが田舎の雑貨屋さんではないでしょうか。少子高齢化が問題だと普通にいわれていますがどこが問題で解決するにはどうするのか、ここ東峰村に住み込んで一緒にケーブルテレビ番組を制作し、生活、暮らしの現場をしっかりと共にして考えていこうと動き始めました。


 そのためにも大都会東京の暮らし、地方中核都市、ちょい田舎、離れ島、中山間地などのいろいろな地域の生活が同時に見えないと偏向してしまいます。今日明日は大都会東京を歩きます。



八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/08/02

 今日は気持ちの中ではちょっと忙しい日ではありました。ところがいろんな人の気持ちでとても穏やかで落ち着いた日になりました。その一人、熊本の自宅近くのガソリンスタンドのお兄さん。もう20万キロメートルも走っている我が家のボロ車の車検をせっせとしてくれた奇特な人です。今日もたまたま前から気になっていたドアの開閉が弱くなっていたので(時には開かないこともある)持っていきました。色々とあって結果的にはボロ車の性(さが)なのですが何と何度も何度も頑張って修理してくれて電話がありました。「何とか大丈夫です、部品を取り寄せて修理するとうん万円かかりそうなので・・・」、といいます。思わず「商売っ気がないねえ」と言ってしまいましたがこういう人に生命を預ける車のことを任せるのは心から安心できます。


 もう一人、住民ディレクターのトップ集団を突っ走っている人。最近は事あるごとに辛いことやきついことをわたしが言い続けています。本人もしんどいでしょうが言うのもしんどいというのは正直あります。その人がわたしの近況を知って手伝いをしてくださる、言い方を変えれば「お手伝いできることはないですか」、というメールが来ました。自分が感じていたよりもはるかに大きな人間力を感じました。


 同じく住民ディレクターつながりの熊本の技術者さん、技術面で教えを請おうとメールしたら「授業料は高い」といいながらも全面的に協力してくださるとの本音をメールしていただきました。気持ちが通じる人達がこんなにいっぱいいることは最高の幸せです。


 「八百万人紀行」にてわたしがお会いして一時はいろんなトラブルがあったとしても必ず仲良くなっていける人は長年世の中を歩いてきた大人にしては貴重なほど素直ですね。言い方が難しいですが。


 最近はNHKの龍馬伝をよく引き合いに出しますが、昨夜も薩長連合の説得には「真」以外に何も無いというドラマでした。龍馬の「真」は日本を大きく動かすのです。実際は龍馬であったのか西郷か、桂か、中岡か、陸奥か??本当のところは無名の志士がやったのか?わかりませんが「真」が人を動かすということだけは見事に書いているドラマです。

八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/07/26

ホントの出会い系・・

 Twitterが創るコミュニティは今のところまだ様子見のところがあるとおもいますがだんだんとわかってきたのがどうも大化けする可能性があるということです。これまでにあったSNSとは違って新しい公共感覚というか、公共というと固いのですがオープンなグループ感覚が生まれつつあると感じています。


 Twitterは顔を出している人が多いことが特徴です。きっといたずらや変な追っかけができにくい環境を参加者みんなで自然と創り出しているのだと感じます。誰が意識しているのではなくネットの使い方がこなれてきている人が多く結果的に非常にオープンな環境で自己表現をしていくコミュニティを醸成しているのでしょう。SNSにあった「あしあと」がないのもいいし、普通ならこっそりと話す男女間の話も公開の場で平気でやれてしまう空気があってそういう新しい関係性が生まれつつある感じです。


 テーマも日常から政治や文化、芸術、恋愛、ショッピング、食、ITなど広範囲のものに触れるので偏っていかないのがいい。自分次第で偏ったりいつものように独自の世界を作っていく人もいるのでしょうが、この世界はもっと大きく広がるのでそういう使い方はとても勿体ないと感じます。


 今日も一日列島各地の暮らしが一人一人の内面のつぶやきから見えて時空超越して海や山や都会の薫り、龍馬のような志に燃える男たち、柔らかい感性の若い女性、どっしりとした母なる大地を感じるひと、などなど内在する男性性、女性性、年齢を超えたものなど得られるものは大きい。使いはじめてやっと半年ぐらい、この間いろんなことをやってみてまだまだ可能性がひろがるメディアと感じています。
 本当の新しい出会い系?!メディアになるかもしれんませんね。





八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/07/23

蝉しぐれ

 さきほどTwitterで東京荻窪の教会通りという商店街の和菓子屋の田貝さんが「こんなに暑いのに蝉が鳴かない、まだ夏じゃないのか?」とつぶやいていました。ちょうど昨日熊本の自宅にてふっと感じたことでしたのですぐに反応しました。・・・ここからは冗談ではなくて本当の話ですが・・これを書きはじめたらまさに今、そう、Now&Hereです、蝉が鳴き始めました。通じたかな?本当に賑やかになってきました!!??。たまたま米子の皆生温泉の女将さんが息子さんたちとカブトやクワガタとりに興じているというつぶやきもあったので皆生はどうか?聞いてみましたがお忙しいのでしょう、まだ返事はありませんがTwitterの同時性、ライブ感覚はこんなところにも活かせるとおもいます。


 今回は蝉でしたが日常ではいろんな側面で気になることやちょっと別の場所ではどうなんだろう?と感じることっていっぱいありますよね。わたしがTwitterのメディアとしての可能性を感じる大きな部分です。電話ならたいそうな話になりますし、メールなら時間差がありすぎる(Twitterでも同時進行しないと同じことですが)。しかもこういう疑問は感じる人とそうでない人がいるのでTwitterのライブ感覚が大事です。荻窪では和菓子職人さんがふっと感じ、熊本でわたしが感じ、皆生ではたまたま子どもとクワガタを追いかけてるお母さんがいらっしゃったらこれはぱっぱっぱとつながると一気に日本列島の現実が見えるかも知れません。


 と、いうようなことをずっとテレビの使い方で考えてきたのですが機動力という点でTwitterが今のところ適しています。ところでFacebookというのがちょくちょく誰彼からお誘いが来ますがあれはどうなんでしょう?いまいちピンと来ませんね。





八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/07/17

一人歩き

 4日前から関西、主に京都を歩いています。時は祇園祭りのど真中で凄い人だかりです。その中をリュックを担いで歩いていますが八坂の塔がたまたま開門されていました。八坂の塔の真ん前に高麗ギャラリーカフェというお店があります。高句麗のご子孫にあたられる高麗恵子さん主宰の店です。黒いダイヤと名付けられた魂覚醒ぜんざいや現地の人々によって手摘みされているエチオピアコーヒーで創られたソフトクリームや珍しいアレンジCafeなどここにしかないオリジナルなメニューがいっぱいあります。アーティストの いだき しん氏が厨房に入って創られています。その勝手口?から出るとすぐ八坂の塔の真ん前に出ます。


 八坂の塔は法観寺というお寺の五重の塔で592年に聖徳太子が如意輪観音の夢のお告げによって建立したといわれている臨済宗のお寺です。いつもは閉まっていますが今日は祇園祭りもあってか開いていました。塔の中まで入れたのでゆっくりと拝観しました。大地から五重の塔の頂上まで貫かれた木の柱も見えるようになっていました。「心柱」と書いてありました。なるほど心の柱、中心です。


 小さな境内ですがさわやかな風が吹き心地よく随分と長居しました。落ち着く場というのはふっと見つかるもので、探していてもなかなか決まりません。今日は時間もあったので気ままに歩いていましたが一人で気ままに歩いているとなるほどという場所によく出くわします。一人で歩くことは発見の連続です。身体が自然と向かう方向は何か頭では予期できぬ直観的なひらめきの宝庫です。未来感覚です。古都京都にて未来を感じる数日間です。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/07/15

Twitter

 Twitterを使いはじめて半年ぐらい立ちました。大臣がつぶやいている、意外な人の日常が見える、など当初はそれがどうした?とおもいつつ自分が使うとは考えなかったです。ところがある講演会で知らないとついていけないほどTwitter達人が勢揃いしたので必要に迫られて入っていきました。その時はまだまだ??があって面白みは見いだせなかったのですが自分なりに色々と実験しているうちにこの道具は使い方次第でとても役立つものとわかってきました。


 最近ではわたしがいろんな方に推薦したり教えてあげたりする身になってしまいました。そこで結論、道具は使い方次第、「○○とハサミは使いよう」とは古くからの諺です。○○についてはよき例ではありませんがハサミはまさに使いよう。人は予定調和でない世界、出来事が好きでわずか140文字で次々といろんな人から生まれでる新しいニュースや情報、気持ちの表現、発想、アイデア、そしてつぶやきが好奇心をくすぐるのだと感じます。テレビもライブがおもしろいし、スポーツの人気は一寸先がどうなるかわからない即興の連続にあるとおもいます。


 本来生きることは即興ですから人間がシナリオの無い人生に魅力を感じるのは当たり前なわけです。こと実人生に関しては腰がひける方もtwitterでは疑似人生を楽しんでいるのかも知れません。しかしシナリオの無い実人生でのダイナミズムほど面白いことはないとわたしはずっと感じています。

八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/07/06

 「花を愛でて純に暮らす」10数年前に特注の陶器の瓶入り焼酎を頼んだ時に書いた言葉です。花は長女、二女が純。名前が先か、文章が先か?といえばやはり名前。二人が生まれてきてから今まで二人の名前にいつも「初心忘るべからず」ができているかどうかを問われるのでやはりいい名前だなと感じます。


 「花」を愛でる豊かな心を持ち続けているか?周囲がどうとか、誰がどうだとか言って他者の責任に逃れて「純」に生きることをあきらめてないか?と二人の娘の名前を呼ぶたびに我が身を照らすようなものです。幸い二人とも豊かな感受性で生きていますが世の中はなかなかこの二人にはしんどいところです。


 最近月刊文芸春秋で井上ひさしさんの絶筆ノートを読みました。最後まで「純」に生き続けた人でした。がんと薬に壊されとんでもない身体になっていっても花を愛でる美しい心と笑いを忘れない方のようでした。数年前、行動作家の代表的存在だった小田実さんが亡くなる直前に「次代の子供たちに申し訳ない」と涙を流して語っているのをNHKで見ました。こんな世の中のまま子供たちに手渡すことへの責任感が純粋な心から語られていることが表情からダイレクトに伝わってきました。


 小田さんと言えば大男で非常に逞しい精神をお持ちの方と著書を読んでても映像で拝見しても感じていましたが、ちょっと猫背で大きな背中には大きな悲しみが宿っていたのでしょう。井上さんも小田さんも粘り強く逞しく柔軟な男の闘いを体現されてきた方と感じます。小田さんの最期は詳しく知りませんが井上さんの最期は本当に壮絶な、まさに死闘だったのではないかと奥様の手記で感じました。



八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/06/29

 会社を興してから11年目になりますが今起業時の理念、事業目的を見直してずっとこの方向で来たなあと次を構想しています。企業理念は「ひと、光る。國創り」、一人一人が内面豊かに輝いて生きる環境創りをするために何をするかが課題でした。「國」は国家ではなく「地域」と捉えています。町内会から都道府県、日本という「国」など伸び縮みする「地域」の総称です。


 事業目的に関しては八百万人紀行 http://www.yaoyorozu-hito.jp/ のトップ特集で書いていますので見ていただきたいのですが、今の仕事は確実に事業目的の具体化に繋がってきています。起業する時に一番時間をかけたのは「理念」と「目的」でした。これさえ決まればずっといけると感じていたのでテレビ局を退職してじっくりと時間をかけて考えていました。当時、しばらくは任意団体でやっていたのは資金面のことはありましたが、会社を興すとなるとスタートしたら途中ではやめれないとの感じがあったのでしばらくは任意団体のまま、ある種の実験をしていました。


 実験とはいっても常に実戦ですから即明日の我が身に跳ね返ってくることを前提にやりながら考えました。このやり方は14年一貫してきました。何事を成すにも中心に立つのは精神です。精神がすくっと立っていないと物事はぶれます。精神が立たないと生き方がぶれるので要です。いよいよ播いた種から花が咲いてきました。この花々を自由に美しく咲いてもらえるようにさらに水をやり続けていくことがこれからの仕事です。




八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/06/23

人間激変

世の中が激変していることをずっと感じる日々です。朝日新聞がメディア激変というシリーズを長期的に連載されていますがメディアだけではなく人の状況が激変しています。その中でこれまでお付き合いしてきた方々の状況を知るにつれある法則性が存在することを感じます。

仕事にしろ、生活にしろ今厳しい中、意外とマイペースでやっておられる人達は時には一緒に仕事をしたり、あるときはボランティア活動をし、遠く離れていても会えば昨日まで一緒にいたように話が弾む人達ですが共通するのは心を大切にしてきた人です。いくら稼げる仕事があっても人間として許せないことには手を付けず、権威や権力志向の人にもなびかず黙々と自分がやるべき道を歩かれてきた人が多いのです。

ずっと以前からこういう方々が不幸になるのはおかしいと感じて今の仕事を起業し動いてきたのですがわたしがどうのこうのではなく、自然と人間の世界がそうなってきているということです。むしろわたしはそういう方々の助けを得て何とか今日までやってこられました。感謝しています。

人材養成や地域を支援することを主な仕事にしてきましたがそのわたしを支援してくれていた人々が多くいてその皆さんがこの厳しい状況の中で元気です。うれしいことです。益々時代は激変状況が続きます。ここをきちっと乗り切る上で必要なのはひとつです。心。




八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/06/12

七人の侍

    ひょんな新聞記事から18年前にテレビ局でやっていた地域興し番組のことを振り返っていた。発想は黒澤明監督の「七人の侍」を十数回目に見た時に閃いたものでした。長い長い映画でしたが何度も何度もよく見ました。それほどあの映画には様々な角度から深い精神と豊かな文化、人間性の表現、村落共同体の在り方、百姓と武士、そしてその中間者(百姓なのに武士になりたかった境界人:三船敏郎さんの演技は見事)の葛藤、百姓の娘と若侍の恋に見える二つの階層のカルチャーショック・・・、百姓と武士がいざ敵に向かう時に生まれるある種のナショナリズムの発生プロセス等等、言いはじめたら終われないほど詰まりに詰まっている複合的な社会学的民俗学的映画というか収まりきれない豊かな映画です。


 わたしはそこに地域活性化のヒントを見いだしました。まさか黒澤さんもそんな風に見る男がいるとは予想もしなかったでしょうが、ビール片手に十数回目に見ていた深夜、「なるほど!」と閃きました。この話は講演会やブログ等でも何度かお話しさせていただいていますが「日本の原型」「日本の源」をこの民俗学的?!映画はあるがまま目の前に差し出してくれていました。と、書きつつ久しぶりにもう一度今見てみたい、と感じます。


 もしかしたらこの時代ですからTUTAYA?に行かなくてもYoutubeにあるのかも知れませんが、やはり映画はできるだけ大画面でみないと監督の意図の伝わり方が全然違います。映画館で見るべきです。東京ならどこかでやってないだろうか?!。ことほど左様に、という具合にわたしは考え、動き、歩き、実践してきました。まさに「七人の侍」の生き方そのものを学んだのです。あのリーダー勘兵衛の何と渋くどっしりとしてやさしく爽やかであろうか。人間の重み、存在を身体ごとガツンと感じる映画です。


 地域興しにどう繋がっていったかはこちらで。つづきもまた書きますが・・。
 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism

2010/06/09

精神の伝承

 表現することが自分を変え、人(他者)を変え、地域を変え、国を変えるということが実感としてわかってきました。井上ひさしさんが亡くなっていろんな特集が組まれています。先日NHKでも特集がありました。小林多喜二について井上さんは父上のこともあって特別な気持ちを持っておられたようです。すでに生存中に書かれ、小松座で上演されているようですがホールの席で見ていた井上さんは泣いていたそうです。井上さんは小林多喜二を表現されて亡くなりましたがこの作品を書くときは洗面所で顔を洗って鏡に映る顔を見たら父上そのものだったと話されていました。


 表現することの中身は小林多喜二が蟹工船などでずっと描いていたことで父上が続き、井上さんが知らず知らずのうちに精神に引き継いでいたのでしょう。蟹工船は教科書で触れただけでまだきちんと読んでいませんが逆にNHKの番組で蟹工船の世界を垣間みた気がします。精神の伝承は圧倒的な存在の重みを持って伝わってきます。



八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/




2010/06/04

わたくしごころ

 仲間が集まって何かを成そうとする際に気持ちが一つになる時は一緒に動いている人々が私心を持ってない時です。わたくしごころ、私心があると必ず邪魔をします。段取りが良くてうまく行きそうに見えてもそれはわたくしごころから来ているのでひとの気持ちを動かしません。むしろ一瞬でもわたくしごころが見えるとみんなの気持ちは恐るべき早さでひいていきます。


 最近の日本の動き、世界の動きは自然とこの法則に則って動いているようにみえます。身近な出来事、すぐ身の回りの知り合い、家族、会社に限らずまさに自分自身の周りの人々に見事に表れてきています。気づくかどうかはその人自身の問題で、結局は自分でわかるしか人には生きるすべはないのです。気づくための機会やチャンスは創れてもその人が自分で気づかないと他者から指摘されればされるほど恨みや反感につながります。古代日本から現代に至るまでいかに人間はこの現象を繰り返してきたことでしょう。考えるだけでも嫌になる話です。しかし、現実に気づかない人はあまりにも多く、暗澹たる気持ちになりますが一方で気持ち一つに動ける人達の集まりも確実に出来上がりつつありこの可能性、未来が希望です。


 可能性ある未来にこそ貴重な一人一人の時間を使おうと考えますし、誰もが元気になっていく動き、仕事、事業を創って行かないと人間として生まれた甲斐がありません。政治の世界が大きく揺れているようにみえますがこれもあくまで表面的な現象に囚われているからで、この中で一貫してある方向を見据えて動き続けている方々は何ら動じることもないのです。成ることは成るように成っていく。ここが基本で自然の道理にかなうように益々世の中ははっきりとしてきたと感じるこのごろです。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/05/25

成る

 よく雨が降ります。23日から人吉に入っていましたが日本三急流のひとつ球磨川はかなり増水していました。ちょうど人吉市内のど真中を流れる一級河川です。今は熊本から博多に向かってますがやっと雨も小康状態です。九州が今とてもよく動いていますがやはり最初の出会いから本音で話し合い素直に動いておられる方々が15年続く今の仲になっていると強く感じます。新たな可能性があることを次々と実践していくには純粋な気落ちと素直な性格がとても大事な要素と感じます。水は高きより低きに流れる如く人間の行為もいくら考えてみたところで成ることは成るように成っていくということに尽きると感じます。


 自然は人間に教えてくれているのに人間の固い頭や強い意識が流れを阻み無理なことを強いるといずれ砂上の楼閣は崩れて行きます。山江村や人吉の気のおけない仲間達は何年も会わなくても会えば気持ちは通じることを何度も何度も経験してきました。ぶつかることや反発することもお互いに色々とありましたが目指すところが本当に同じ方向なら必ず融合して行きます。表面的には合っていそうでも似て非なるものは時間が経てばこれも必ず結果が出ます。成ることは成るように成る。この名言の懐の深さをじんわりと感じる雨の季節です。

八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/05/20

フーテン

 子どもの頃からですがどこかにじっとしているよりも歩いていたり、頻繁に移動している方が身体が働くというか勿論同時に頭が働くわけですが調子がいいですね。何かをじっくりと考えるというとついつい静かなところで落ち着いて、となりがちですがわたしの場合はことごとく反対で結構賑やかな場所に行ったり、話したり、何かして動いているほうが身体全体がよく働きます。


 特に列車や飛行機、船等に乗っているときは歩いているときとは全く違う感じで又新たな発想が閃きます。それぞれに身体の体験が違うのでその影響だと今は考えます。飛行機は普通人間はいない空間、空高くを飛んでいるし、船は何と行っても潮の匂いがありますし、独特の揺れがあります。列車もあのゴトンゴトンという揺れ、新幹線は静かですが恐らく超特急な早さで地上を動いている感覚は身体に及んでいるでしょう。車とバスも微妙に違い面白いです。今は考えられませんが馬に乗って移動するとこれはまた動物との交流もあり飛んでもない発想が生まれそうな気がします。


 生きていく上で最も大事なのは自分の足で歩くことでしょうか、自分の足で大地を歩くことは突飛なことよりは身幅にあった考えが浮かぶので現実的な確かな歩みになると感じます。様々な発想を身幅に合わせて暮らしにいかすとはそういうことかも知れません。


 こう考えると自分の発想や考えがいつも移動していることに密接に関係していることがあらためてよく見えます。実に次々といろんな移動手段で動いているので発想にそれが反映するのですね。サラリーマンが合わない理由でもありそうです。




八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/05/16

未来

 先日、ある街である人と二人きりで静かに語り合いました。その人は仕事上関係はありましたが、いつからか仕事とは関係なしに気になる存在になっていました。人と付き合う場合わたしはあらゆる肩書きや役職、環境、利害関係を取り外してその人の人間性だけで付き合うかどうかになっていきます。これはずっとそうです。


 テレビ局という独特の場にいたときも最終的にはどうしてもここが出てくるので自分ではガチンコ勝負をしてしまいます。テレビ局を辞して一人で事業をはじめてからもずっとここは変わりません。ある地域の情報発信をサポートするために入った時、都会と田舎が恊働するカタチを探ろうとする実証実験的なものでしたが、どうしても都会の方々のメリットばかりがあって田舎に残るものがありませんでした。皆さんの集まりでそこを明確に指摘しました。結果的に一年後にご縁はなくなりましたが今でも田舎の方々のその後は気になりますのでいろんなカタチで情報をもらっています。


 熊本でもそうでしたがはっきりと見える将来像がマイナスであったら修正し続けていかなければ未来は創れません。未来からやってくる可能性への誘いに今、いかに答えていくかが日々の仕事です。そこに徹していれば仕事は生まれ続けますし、緩やかながら確実に進展していきます。目先の利害に囚われた事業は必ず先が行き詰まります。自分ではそういう意味では未来が見えるある状態があります。それをやり続けています。


 ある街のある人は酒杯を傾け静かに話し合っているうちにじわーっと気持ちが伝わっていくのが感じられました。全く同時にある人の気持ちがじわーっと伝わってきました。この感じが結果的に仕事を成功に導くある状態です。こういう時身体が熱くなっていきます。決して酒のせいではありませんよ。

八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/05/05

 今は赤い数字が入っている紙のカレンダーを貼っているので今日5日までが連休というのがわかるが、Macのスケジュール管理のicalなどは赤字や祝日が入ってないので(普通は入っているのか?簡単なソフトの入れ替えでできるのかな?)先月末に冷や汗をかいた。5月に打ち合わせをしたいという件があったので3日か4日は?と軽く返信したところ相手を困らせてしまった。「連休ですよ」とも言いにくかったとおもうがそういう意味では常識が通じないところで動いているんだなあ、と顧みた。


 起業した頃は毎日よくカレンダーを見ながら仕事をしていた。スケジュール表が真っ黒ではあったが今は状況はそんなに変わらないのに不思議とスムーズに動いていける。やるべきことが自然と決まっていき、優先順位も自然に並んでいくので昔やっていたようにスケジュール調整とかいうことにそんなに四苦八苦しないようになった。年齢的なものもあるとはおもうが、吹く風に乗っかっていれば結構気持ちよく必要な場所場所に連れて行ってもらえるように感じる。かといって風任せでもなく、自分の意志は常にある。


 今、住民ディレクターNewsで自分の仕事を振り返りつつ整理している。もう何度目のことだろう?整理していると14年前に構想していた絵の中を歩いている自分が見える。14年間変わらないでやってきて、14年間で大きく変わったと一見矛盾するような大きな動きを感じる。風に乗って動きながら意志がある。ということがこういう感じなのかもしれないな、と。


 お江戸にいても自然の心地良さを感じるように風通しが良い日々が続く。




八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/05/03

事件

 小林秀雄さんの本は学生時代によく読んだ。というよりも小林さんの本以外は読めない時期がありました。もっといえば小林さんの本からいろんな作家の世界に入っていった時期がありました。小林秀雄さんは批評家ということになっています。ご本人の表現を借りれば己の夢を(他人の作品を通して)懐疑的に語ることが批評だといわれています。小林さんの書き方は一言でいえば作家の中に入ってしまう手法でした。「様々なる意匠」を取っ払ってその人の中に飛び込んでしまう。感覚としてはとてもよくわかったので小林さんが飛び込んだドストエフスキ―やランボー、トルストイ等の世界を垣間みました。


 中原中也という詩人に関しては小林さんにとっては決して穏やかに語れる人ではなかったのです。全集まで近づきましたし山口大学に行ったので自宅周辺をよく歩いたものでしたが人間のつながりの根本的なある何かを二人の関係を理解することから得ました。哲学者ニーチェや音楽家モーツアルト、骨董の青山二郎と文学にとどまらず小林さんの関心は人間の行為全般に渡っていたと感じます。従軍記者もされ多くを語られていませんが平和を考究された一人でもあると考えます。


 本居宣長を10数年かけて書かれたことが小林さんの最大テーマだったのでしょうが、「感想」というベルグソン論については途中で失敗を認め断筆しました。生前に家族や出版社に発刊を禁じていました。そのベルグソン論が全集のひとつとして発刊されていました。昨今小林さんの意志や意図を知らない研究者たちが手に入るかつての論文の断片を元に論じる傾向が増えたので「著者の意志を知らせるために敢えてその意図を伝えて」の出版という真摯な気持ちからでした。


 わたしはこの経緯を知りませんでしたが逆にこの出版された全集の一巻を先日本屋さんで手にして小林秀雄さんへの理解がさらに深まりました。「表現」ということの深さ、大切さを痛感した事件でした。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/04/29

太陽の季節

 5元中継について色々と整理していたらあっという間に夕方になってしまいました。昼に東京を歩いていて「太陽の季節」を感じました。やっと夏の太陽になってきた感じでした。この春は寒暖の変化が激しく日は差してもどこか冬の日光の名残がありました。最近は天気予報等はあまりみないので今後どうなるのかはわかりませんが体感的にはやっと夏への移行がはじまったと感じます。


 夏です。わたしは夏が大好きです。きっと生まれたのが夏だからです。8月のど真中です。東北の厳しい冬の文化には憧れやとても深いものを感じるのですが実際に行くと苦手です。寒い。寒いのは本当に苦手で頭が働かなくなってしまいます。夏はわざわざ日陰を避けて日射の強い通りを選んで歩くというほど太陽が好きです。名前も日光が一緒になった晃というのは母の直観でだったのでしょうか、命名は母でした。


 アフリカが性に合っています。これまでの人生ではシナイ山に登った時が最も身体が喜んだときでした。カモシカがとんとん飛び跳ねて走るようにシナイ山の坂道を登っていったことが記憶に新しいです。降りるときはあっという間に走り降りてしまいました。空を飛んでいるかのように身体が軽く浮いているかのように足が道を感じないのです。


 さあ、いよいよ夏です。途中に梅雨がありますが夏の前の雨は気持ちいいほどです。水害だけは何とか避けたいのですが・・・。夏に向けて今日は身体も頭も軽いさわやかな日です。

八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/ 住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/04/26

阿吽

 スケジュール管理は一人でやるのは問題ないが複数人とやる場合にいつも困る。自分ではおおよそ到達点はみえているのだが、メンバー全体でどこまでどのように動くのかというのはまさに総合プロデュースの問題だ。恊働作業という場合はそこを可視化しないといけないのだがここが苦手だ。テレビ局時代からいつも企画は20から30のものを同時進行していたのでスケジュール管理は書けば膨大な量になって整理することで毎日が終わってしまう。仕事にならない。かと言って可視化しないと効率はあがらないので結果的にはプラスマイナスがどうなるか?という議論はある。しかしいずれ自分のやり方では限界はある。規模の問題も大きい。


 今はこれまでにない企画や事業ばかりを数はいっぱいやっているがひとつひとつの規模はまだ小さい。だから可視化せずとも何とかなる。同時に規模が大きいものをやることになれば当然複数人のサブプロデューサーが必要となる。というよりも事務局長だ。言い方を変えればデスク。テレビ局時代は一応予算はある仕事なので大きな仕事を同時にいくつもやっていてもそれぞれにアシスタントプロデューサー(事務局長)を雇ってやれた。今はそこはシビアな現場が多い。だからこそ一人一人の信頼関係と阿吽の呼吸が最大の技術になる。


 企画の主旨、コンセプトを言わずとも理解してくれる恊働者が多いときは大きく動ける。道具は簡単で低コストに限りなくなってきた今の時代はそういう意味でもいよいよ人間力の時代だと感じる。時代環境も昔のようにいつどうなっていくかわからないので即興的に即断即決できるスタッフがいかに強い絆で結ばれているか?企業でもNPOでも地域団体でも同じ状況にあると感じる。仕事を通して身につけていくOJTしかない。


 現場共有の中で野球のオールスターのようにそれぞれが最も得意とする守備や打順に入る。そこを無理なく美しくアートできるかどうかが総合プロデューサーの力量なのであろうと考えている。ただし総合プロデューサーやディレクターや事務局長、それぞれのスタッフに優劣はない。これはゲームなのでルールがあるだけのことだ。そのルールのある中でわたしはたまたまプロデューサーがどうも性に合っているというだけで、事務局長を任命されたらきっと鬱病になってしまうほど苦手だ。事務は全く苦手なのでできることをやっていたらプロデューサーのような仕事になっていったというだけのことだろう。


 一人一人が資質を活かす仕組み、柔軟な組織が今必要になっている。「地域」、「社会」、「世界」もそのまま当てはまるのではないだろうか。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/04/25

時代は今

 メールが普通になった頃から仕事量をそれまでの数倍こなす時代に入っていきました。なにしろ電話のように「今忙しいからあとで」はきかない、実際に後で読めるものだからメールは。しかも残っているのであとで読んで返事することが可能なメディア。あれ以降、深夜にメールに返信するのが当たり前になった、そしてブログやらSNSやらセカンドライフやら色々あってツィッター、Ustreamになった。今は24時間戦えますか?の時代に突入しました。


 しかし本当は企業戦士のように戦うのではなく、24時間、ゆるーくいろんなひとたちとつながる時代と考えます。ゆるーくが味噌で、ゆるいからこそこれは「戦う」のではなく「助け合う」、「愛し合う」方向に未来があります。そんな時代にきてこれまでの日々の実践が大きく活きる日常になった。メディアがやっと人々の生活を助ける機能を発揮しだす。しかし活用するひとびとのやさしい気持ちが動かすので頭や知識や思い込みでのコントロールは出来なくなっています。


 大変な時代ではあるがとてもいい時代に変わる可能性も非常に大きい時を感じます。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/04/21

光る!高橋さんのつぶやき

 今日は杉並TVの高橋さんがJCOM東京に登場する。きのうまで一緒に出演する教会通りの皆さんのサポートをしいていた高橋さんは自分も出演するのに何も準備できてない、と今朝になってあせった。本当は「今日こそツィッターのつぶやきが活きる日」、とメールする。「了解、準備が済み次第に」しかし、ツィッターはその時々の瞬間瞬間の気持ち、本音が伝えられると最大の効果を産み出すメディア。生中継、ライブ感覚が勝負!「終わってからではなあ・・」、と考えつつまずはわたしがつぶやく。するとすでに高橋さんのつぶやきが!
「・・とおもったけれどまずはこの危機的状況をつぶやきます」とのメールもあった。さすがに住民ディレクター!これぐらいの度量がないとね。頼もしい高橋明子さんです。今日は彼女のつぶやき、注目です。




八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/04/17

電話しますか?

 現場が続くとパソコンを触る時間がない。だからどうだという訳でもないが、ネット時代でネットだけで連絡をしてくる人もかなりいるので長期にわたってお待たせすることが増えてしまう。こういうときはさっと電話をくれればよかったのにとおもうが意外と電話の習慣が無くなってきている。

 面倒くさい?電話代が勿体ない?それほど急ぎでもない?敢えていえば3番目だろうと思うがその割にはメールでは急いでいるような口ぶりだ。待たせてしまっているので大変申し訳なく感じてしまう。しかし、うっかり忘れているのに気づいて慌ててこちらから電話すると意外と落ち着いている、ということも多い。

 わたしの仕事相手はわたし以上に現場肌の人が多いので電話がまだまだ多い。メールしていても向こうから電話が入る人が多い。ネットに弱い?確かにそれもあるが即決即断の人が多いということが最大の理由だろう。話は早い。ネットを通していると却って何倍もの時間がかかる案件。そういうものまでネットを使うのはどうだろう?

 相手が忙しいだろうからと敢えてメールで依頼していた件でなかなか返事が来ないので電話する。慌てて謝られるが、またしばらく返事がない。電話する。それでも動かない。こういうケースはよっぽど忙しいのか、仕事にならないと考えているのか?だろう。申し訳ないという気持ちも伝わらない場合は即決即断で別の方に依頼する。

 ネットだけで仕事している人がいるらしいが、完全都市型だろう。少なくとも田舎や過疎地、中山間地や離島の方々、勿論、高齢の方々と仕事すると電話のない仕事はまだ考えられない。
 電話でもネットでも勿論顔を合わせても仕事は気持ちよくしていきたい。




八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/04/14

渋谷の夜から岡原村へ

 渋谷の夜を久しぶりに歩いた。正直言って疲れる。膨大な数の人々とすれ違うが、顔を見ていると声をかけたくなるような人はほとんどいない。随分前の話だが、熊本県の人吉球磨地域に岡原村という小さな小さな村があった。その村役場のまだ20歳そこそこの青年が東京に仕事の関係で出てきた時のこと。電車やバスでお年寄りがあまりにも大切にされてない状況を見て自分は都会には出ない、ときりっとした瞳で話していた。曰く「ばあちゃんやじいちゃんが可哀想だ」ということだった。

彼は毎日相良(さがら)33観音という地元の仏像が置かれている観音堂を掃除してお参りしてばあちゃんやじいちゃんがお参りの後にゆっくりと座ってのんびりと過ごせるようにそれはそれはきれいに掃除していた。実際、毎朝掃除する前は丁寧にお辞儀してから観音堂に入り、ほうきを取る時もいちいちお辞儀する。わたしはその頃まだテレビ局のプロデューサーで彼の毎日を取材して番組にする立場であったけれど、その彼の姿勢を見せられて本当に頭が下がっていった記憶がある。

人吉球磨にはこういう青年や女性が多くいて訪ねるたびに人間としての基本を若い彼らから学んでいた。今、彼はどうしているだろうか?きっとやさしい彼女と結婚してばあちゃんやじいちゃん、両親、兄弟姉妹と仲良く暮らしているだろう。長い時間が経ってやっと彼らの時代がきた。わたしはやっと彼らに恩返しが出来る時を迎えていると感じる今日この頃である。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/04/12

雨音

   沈思熟考しているときはツィッターとは縁遠くなります。自然と内面で自分自身だけにつぶやくからですね。しかもごく自然につぶやきが生まれるので熟考が深まります。ツィッターでは当然いろんな人が遊んでいる広場で他者に聞こえるようにつぶやく(叫ぶ?)から最初から他者の反応を気にしている分、本音というよりは頭で考えたことが出やすいですね。それでもツィッターのつぶやきでとても素直に気持ちを表現している人、特に女性が多いのですが、に出会うと自分の気持ちも素直に動きます。

  しかしだんだんと彼女の頭が出てきて、気持ちが追いやられてしまうことが多いです。ほかの人の反応やRTが入るとどうしても感性よりは考えや想いが強くなってしまうように感じます。元々この場を作った直後にツィッターとの出会いがあり、便利なのと珍しいのでツィッターを使っていましたがだんだんとツィッターの世界の色合いが見えてきました。ツィッターはやはり情報交換の場として今は盛り上がっていると感じます。


 気持ちや本音は情報や時代を抜きにしてNow&Hereにこそ生まれ続けます。そこから創造性が働き、身体が無理なく動きます。なぜか雨の多い季節ですが雨音も沈思熟考に適している自然音のひとつです。



八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/04/02

タケル

 10代はほとんど兵庫県から近畿地域にいた。20代直前から半ばにかけて中国・四国地域にどっぷりいた。20代半ばからは九州を随分と歩いた。そのまま熊本に中心を置き、全国行脚がはじまった。しかしこの頃はテレビの電波に乗っかっていることが多かった。40代前半からは自らの足で日本列島を歩きはじめた。同時に海外も歩いたがこれはまだ自分の足ではない。

こうしてみると九州とのご縁は不思議だ。網野善彦さんに寄ると沖縄、西日本、関東、東北以北は元々違う国だといわれている。国というのはプリズムでいう「國(くに)」のことと近い感じだとおもうが大きな地域のことだろう。たまたま京の都の外れの加古川という土地に生まれ、西へ西へと向かっていたら突然、逆流のように関東、北陸、東北へと流れが動いた。

ヤマトタケル、クマソタケル、イズモタケル、・・・自分史を紐解くと結構不思議な旅をしてきている。学問的には全く頼りないが八百万(やおよろず)人紀行はそんな自分史の紐解き作業でもあると感じている。名もなき人々の小さな営みが重なり合うように繋がって創造されるある何かの力。住民ディレクターといい、Action Media というのはそんな小さな営みが無理なく繋がるように土壌を開拓する人との出会い、道具の開発を求める気持ちが自分自身の奥深くにあるから。






八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

ビル街の桜並木と水上村の桜大観

 六本木の夕方と夜の桜を堪能してきた。桜といえばいつもは大自然の中に広がる桜大観や田舎町の沿道、村の公園にパノラマのように広がる桜並木などを楽しんできた。今年は東京の桜だ。先週福岡県東峰村の3分咲きの桜には出会ったが。

 桜というと熊本県球磨郡水上村の桜が恋しい。ダム湖の周辺に何万本だったか?延々と桜並木が続く。テレビ局時代にもよく通ったが、ある番組で桜の季節に女子大生リポーターが散策するコーナーを制作したことがあった。その大学生の子がまた桜に見事に映える容姿をしていて服もセンスが良くて本当にぴったりと合っていた。

 その女の子が歩いた桜並木は作家の水上勉さんがこの村を訪れたときに水上村の「桜大観」と表現してくれたそうだ。当時はあまりピンときてなかったが、今はその水上さんの言葉が身体に浸みいるように感じる。ビルを背景にした東京の桜でさえ同じように感じる。子どもの頃は桜が咲く季節はあまり好きではなかった。今日のように風が強くいつまでも寒かったせいだろうとおもう。

 寒いのが苦手で、春らしく気温も緩んでできたと感じた次の瞬間、まさに強く冷たい風が吹き、あっというまに冬に戻っていくような感覚がとても苦手だったのを思い出す。そういう季節として毎年同じ経験をするので春は嫌いだった。もともとアフリカのようなギラギラの太陽が身体を突き刺すような季節が一番好きなので、わたしとしては桜を過ぎてからが本番という感じだった。

 夏に生まれたということがその身体感覚をつくっているのかとも考えるが太陽、青空、汗、冷たい水が最も身体が喜ぶようだ。東京の桜も明日明後日の風と雨で終わるのだろう。桜は確かにいつもはかない。花の命は短くて・・・。

 



八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/03/30

30分の1秒の世界で総合的な企画力養成

30分の1秒の世界の愉しみを久しぶりにこの数日間味わった。映像編集の世界のことだ。14年ほど前から住民制作番組に徹してきたのであまりこういう細やかな編集はやらないできていた。しろうとのみなさんにはまず目に見えないと同じような細やかさとスピードだから、住民ディレクターの世界ではなかなか披露する場面がない、いや、なかったといったほうがいい。

30分の1秒の世界は普通の人が見てても恐らく見えないと同じものだ。オウム真理教がにぎやかだった頃映像の中にそれこそ一コマづつ見せたいものを忍び込ませ潜在能力に働きかける手法が話題になったことがある。カタカナの呼び方を今は忘れてしまったがあれは普通の人の目には認識できないほどのものだ。しかしテレビやそれより前のフィルムの映画はその一こま一こまがとても重要という世界だ。

わたしは性格的にも実際的にも職人的な技術論はあまり好きではないが、実際に住民ディレクター番組や住民制作番組を現場で一緒に創っている時にはそういう30分の1秒の世界はいつも見えているので気になる。気になるが気にしているととてももじゃないが現場がすすまない。この数日間もたまたま最近話題になっている杉並の住民ディレクター番組を制作中だった。

ところが今回のは最初から大変大きな課題を背負った番組だったので簡単に完成するとはおもってなかったが、果たして久しぶりに相当時間かけてしまった。これはだからどうしたということではなく、とてもいい経験だったことをいいたい。時間をかけるというと一体どれぐらいの時間をかけるのか?ということもなかなかピンとはこないとおもう。例えばまずは住民ディレクターの方数人が延べ一週間、時間にして約50時間かけたとする。その素材を普段は3日、約30時間かけてスカパー! e2の15分番組を制作する。

   同じ15分番組を今回は取材、収録、打ち合わせに恐らく3日、約20時間、編集に10日約70時間かけたぐらいだとおもう。ただ今回は自分にも事情があってこれをやる中で色々と実験していたこともあった。だから差し引いて考えないといけないのだが、その分住民ディレクターさんにも寄り道をさせてしまった。この寄り道が総合的な企画力を養成するプロセスなので怠けているわけではない。

さてそれで膨大な時間といってよいかどうか、だが、職人さんがものを創る時の時間は基本は同じようにきりがないはずだ。番組は締め切りがあるだけ助けられることが多いが、締め切りがなければすすまないという当たり前の怠け癖のある人間の本質もある。そして30分の1秒のところは一般の方が見る分には問題はないちょっとした切りかすが残っているようなものだ。それをいちいち気にしていてはもともと大味なイノシシ鍋に味の素を振りかけるようなものであまり意味はない。

大味の醍醐味。

これが住民ディレクター番組の要だ。本来素人が映像や音声や文字で表現するのだが生活はプロだ。一方メディアを使えるほうは生活は見事に素人だ。コンビニ弁当で暮らしている。ふとんでまともに寝ない。休みにぶらぶら桜を見に行ったりしない。寝ている。そういうメディアのプロが生活のプロに求めるのは味の素の話が多い。イノシシを撃ち取ってきた猟師からすると全く関心のない話だ。

脱線したが、膨大な時間をかけて編集する時は頭がとてもクリアになる。日頃は大雑把に処理している日常のことが映像になって残っていてそれを30分の1まで絞り込んできれいにカタチを整えるとすっかり気分がいい。彫刻家のノミで木をさくっ・・さくっ・・と彫り込んで行くような感覚がある。住民ディレクター現場では話せない、体験させてあげられない職人の世界。でもそろそろこの世界にまで踏み込んできた住民ディレクターの人達が出てきた。

まっこと面白い時代になってきたっちゃあ。かも。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.
yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/03/25

豊かに先を創る

内面が穏やかで心が澄んでいる状態は閃きが次々と起こってきます。身体が動いていても落ち着いているとき、身体は静かであっても内面がばたばた慌ただしいとき、いろんな状況がありますが人間の内面は不思議なものです。基本的には好きなことをしたり好きなことを考えている時は静かで落ち着いています。あまり好きではないことを(好きなことをやるために)やらざるを得ないとき、先は見えているので動けますがその瞬間瞬間はやはりざわつきます。この状態をもっと豊かにしていくことを考えています。瞬間瞬間豊かに生き、先を創らないと先がない。多くの人の動きや結果を見ていてもそれは十分すぎるほど証明されていますから。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/03/19

「知られる権利」なう

街頭テレビからツィッターまで、メディアの歴史は同時に人の歴史だけれどもずっとメディアとは関係なく暮らしている方々の生活をどう伝えるか?。日本で最初の放送評論家、志賀信夫さんは14年前、それを「知られる権利」と言った。ビデオジャーナリストも導入された時代。14年前が市民メディアの草創期であったのだけれど・・・。奇しくも住民ディレクターもその頃にスタートした。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/03/18

今、東峰村で。大名なう。

今日は何度か東峰村と博多大名のコラボについて書くのですが、なんだかうっかりミスで消えてしまうこと数回。ご縁がない。その分はツィッターや住民ディレクターNewsにて書き込んでいますが。東峰村の方々に一番参加してほしいのですが、まだ動きはありません。わたしが知っているツィッター活用者の一人も今日から村外へ旅立っているので(関係ないか!?ネットだから)今のところ繋がってない。村役場は引っ越しやら年度末の整理で情報発信もなかなか出来ない様子。やはり明日からのメディアカフェでの伯夫さんと大名の山本さんのコラボ?!に期待。東峰村ですぐにツィッターが流行るということはなくてもこの動きは誰かに実感してほしい。今は2600人を代表して梶原伯夫さんに期待したい。話は大袈裟になってしまったが、いつもこういう動きは同時進行なので経験するかどうか。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/03/15

84歳の吉本隆明さんの講演会で閃いたこと。

 吉本隆明さんが84歳で講演がしたいとの話になって2000人の前で話す番組があった。自己表出、指示表出という言葉と沈黙の芸術、コミュニケーションのことばなど興味深い展開ではあったが流石に84歳という高齢で数時間の講演をされるというのは精神と体力のバランスが保てなくなる感じがしました。ただお顔を拝見していると89歳で一昨年亡くなった母と共通する表情をみつけ安心しました。いい年のとり方をした人はああいう表情になるんだな、と母を思い出しました。


 それと脈絡はあまりないのですがお話を聞いているうちに自分の映像サポートのことが見えてきたりしました。元々芸術ではなく生活に根ざした企画ニュースのようなものですが、カメラも持ったことがない人が自分自身の関心があることをノウハウは勉強せずにいきなり撮る。その中に必ず撮りたいことが入っているのでそこを伺っていると何を伝えたかったのかがわかってくる。映像表現ということでは色々とやってきた自分は例えばこうするとどうなんでしょう?という編集をしてみせる。すでにこの段階でこの映像は限りなくわたしの作品になっているのですが、元素材は相手の人ですからあくまで相手の代理表現になります。


 このとき相手は自己表出(表現)をしていてわたしは指示表出(コミュニケーション表現:相手にわかるように表現する。自己の裡から湧き出る「自己表現」でない)というような話になります。この言葉の定義はここで追求しても無理なのでこの辺にします。この話でいいたいことはわたしが相手にこうすればどうでしょう?と編集するその映像表現はもしかしたら課題解決表現かもしれないな、と感じたのです。相手は何かいいたいことはあるけれどうまくいえない。その状態で撮ってみる。そこにはいいたいことの素材は入っている。しかし、うまく編集は出来ない。その編集が整理できるとほとんどの方が気分がすっきりするといわれます。ある種の課題解決につながっているのでは、と吉本隆明さんの沈黙の芸術論を聞いていて閃いたことです。十分語り尽くせていないですが、このテーマはまた書くと思います。

八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/03/13

春、社会人1年生?!太陽の季節へ

 昨日東峰村には春が来ているでしょう、と書いたら今日の東京はすっかり春を通り越そうとするぐらい暖かくなった。さっき見たら20度でした。ラーメンを食べたら暑くてとうとうランニング姿になっていた。春への準備を整える時期で今はあまり外には出ませんがこうなると自分の季節が来たと俄然力が出てくる。寒いのはどうも苦手で動きが鈍くなる。誰でもでしょうが、しかしやはり北国の人は強い。

 瀬戸内海気候で育ったのでほどほどに暖かく、そう寒くもない地域だとおもいますが、やっぱり寒いの大の苦手。アフリカに行くと相当熱砂地帯を歩いても問題なく、エネルギーが身体にたまってくる感じがあります。充電されるような感覚です。熊本も夏はとんでもなく暑くなり湿気が強くよく倒れる人がいるのですが、わたしは夏もわざわざ日なたを選んで歩くほど太陽が好きです。太陽に当たらないと電池が無くなっていくような感じがいつもあります。冬は電池切れが起こりやすい。

 人生はじめてのオーダースーツも仕立ててもらい4月には完成するようですので今年はいよいよ社会人1年生の気分です。これまでの準備に手間取ってしまいましたが、今振り返れば必要なことをひとつひとつ解決していっただけだったと感じます。自分自身との出会い、探求、その先にきっとある生まれながらもっている資質を生かす仕事との出会い。社会人1年生ですから希望に溢れます。いよいよ春です。 


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

清らかな水、食、ひと

タイトルバックの写真は福岡県東峰村でいつもお世話になる旅館の部屋の窓から見下ろしたら見える小川です。少し前に撮ったのでまだ冬の表情ですがそろそろ春の小川の歌が聞こえてきそうな季節になってきました。まだ寒いですが、きっと東峰村には春が来ているでしょう。
朝起きて窓を開け、冷たい空気が入り込む中、ぼんやりと水の流れを眺めていると透き通った水の清い流れにすっかり気持ちも清められます。

この川の流れを堪能したら、やはり川が目に入る光明石の風呂にゆったりつかり身体の芯から温まります。やはり少し窓を開け、鳥の声も聞こえてきます。風呂から上がると本当に美味しい山の朝食が用意されています。お米もみそ汁も、梅干し、漬け物、魚、などがお膳にバランスよくのっています。実に美味しい朝ご飯です。

地域の魅力を伝えるというのはこうして訪れた一人一人が体験を語ることが最も伝わるのでしょう。語るわたし自身は川や風呂やお膳のイメージを浮かべながら語っていますから、実際にそういう映像をお見せしながら語ることが文章の世界とは違うリアルな現実(に近い)感覚を伝えます。しかし、語りありきです。語りがないなら映像の魅力は半減します。最も映像が言葉を不要にする力がある場合は逆です。余計なことはしゃべらない方がいいに決まっています。

アートならそれでいいのですが、生活、暮らしを伝えるのはやはり暮らしの息吹が欲しいと感じます。その息吹を伝えるのは人です。東峰村の地域SNSを見ていたら元永英美さんが94歳のお母さんの誕生会を二人きりでされて、赤飯とエビの天ぷら、焼き魚で乾杯したと書いておられました。

その赤飯やエビ、魚がとても美味しそうに感じました。ブログに愛情がたっぷり漂っていました。http://toho-sns.jp/blog/blog.php?key=1693

☆下記サイトにて元永英美さんの特集中

八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/03/09

ツィッターとの連動

元々ここで書こうと考えていたことの多くを今ツィッターで書いているのが現状です。向こうにも書きましたが140文字というのが決まっている使いやすさがあるのですね。Now&Hereはふたつで一体となってきましたので一応のご報告。とはいえ、じっくりと考え、整理する時はやはり140文字に関わらず書いた方が落ち着くということもあります。今は書類探しで時間がなかったのですが・・・。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/03/08

山、田畑、海の最先端メディア模索中

東京にいる時はほとんど学生生活です。学生時代のような狭い部屋に(倉庫ですがどう見ても)いろんな道具がごろごろ転がっています。仕事部屋といえば格好がいいがまたすぐに使うからついついそのままの状態になるとあっと言う間に部屋中足の置き場もなくなってしまう。集中してるとご飯も忘れ、面倒なのでカップヌ―ドルやパンが増える。今もそう、すでに午前3時過ぎ、今からコンビニに出るのも面倒なので地震に備えて買い置きしているカップラーメンに。

とはいえこういう生活は苦ではない。だから年齢を忘れいまだ「学生」をやっていられる。ツィッターでは閃いたらメモっているようなものですが、さきほどから考えるのは紹介したい人びとのこと。八百万人!「やおよろずびと」を「はっぴゃくまんにん」と読めば、もしかしたら世界中にそれぐらいの人が待っているのか、とも想像してしまう。意味はやおよろず、なので多種多様な大勢の人びとのこと。

日本の神々が八百万であることから同じく八百万の人びとに視線がいくのです。ツィッターを覗いているとどうしても山、川、田畑、海の人びとにはなかなか会えない。実際フィールドで暮らす人びとはツィッターやSNSを知らないか、知っていても使わない、使えない人が圧倒的だとおもいます。岩手三陸海岸の青年漁師さんたちがブログで漁の模様を送る漁ログもやはり実際は漁協の方や県庁の方がサポートしておられる。

それは現実的な手だてなのでまずは前に進むことが大事です。わたしが模索するメディアはそろそろ世の中に姿を出して行くべき時が来ていますが人のつながりが要ですから身の丈サイズを間違うとすぐに停まってしまう。今月はそこを見立てる月。そういえば教会通りのテーラー中山さんにスーツを見立ててもらっている、はじめての経験、これも楽しい。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/03/03

はじまり・・・、27年前。

昨日3月2日は個人的に(でもないんですが今は)とても大事な日でした。その日にいつの間にか熊本に帰っているというのも不思議なことです。ざーっと振り返ると27年前、熊本のテレビ局に入って3年目です。やっとテレビ局の仕組みもわかり「ズームイン!朝!」や「24時間テレビ」、「11PM」など日テレの大番組も経験してテレビ局のネットワークがだいたいわかってきた頃でした。また熊本では98市町村を歩くニュース企画に乗り出した頃です。今は3分の1になりましたが当時は98も市町村があったのです。まだ山江村が熊本県にあること自体知らない頃です。

テレビのひとつひとつにとても時間がかかり手がかかりお金もかかることにやっと慣れはじめました。なにしろ30分のドキュメンタリー制作に1年をかけ、何百万という予算をかけ、100倍以上の取材テープを使うということが普通でした。機材が大きく誰でも簡単に使えないのが最大のネックでした。コンテンツを創る発想よりは撮影する技術、編集機を動かす技術がないと番組を作れませんでした。だから必ず技術者がパートナーとしていて彼の考えを通さないとカタチになりません。

産まれた地域も環境も性格も何もかも違う、しかもあちらは純粋理科系ですから発想は全く違うのでわたしが出そうとする表現が簡単には通じないのです。このイライラ感がオールインワンの住民ディレクターを産んだとも言えます。閃いた時に自由にやってみる、だめだったら即やり変える、それでもだめだったら最初のままでいく。というようなことが簡単には行かないのです。最初に戻るなら最初からそうすればよかったという実に非創造的な話に時間をかけるのです。

あーーーーーもうやめたっあ!若い頃は結構短気でした。

「あきらめ」です。スタートは。しかし、技術信仰の時代はあれから約30年、終わろうとしています。少なくとも暮らしの現場ではほとんどの技術がおじいちゃんやおばあちゃんでもやれる簡単で低コストのものになりました。

後は何が残るのでしょう?

ああでもない、こうでもない、やっぱり違うなあ、最初のものに戻ろう・・・、という柔軟な発想、自分でやってみて答えを出すやり方、そのプロセスです。創造の要は。

27年前、そういうスタートを象徴することが同じ日本の中ではじまっていたのでした。



八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/03/01

熊本のおばちゃん

大阪のおばちゃんから熊本に戻り熊本のおばちゃんたちに会ってきました。と、いってもおばちゃんという親しみある呼称のニュアンスをそのまま受け取ってくれるおばちゃんたちです。熊本も熊本市内から約1時間半、九州山脈の裾野にある人吉のほうへ奥深く入っていくとまさに愛くるしい「おばちゃん」たちがいっぱいいます。自称も他称もおばちゃんなのでここでは気遣いが不要です。

熊本市内でもおばちゃんと普通にいえる人たちは子供との関係から自分のことを考える女性が多い感じがします。いつも子供たちと付き合っているので普段から「おばちゃんはね」と名乗り、「おばちゃん」と子供から自然に呼ばれているので違和感がないようです。

そういえば東京でもその関係性で生きている女性はごく自然に「おばちゃん」ですね。自分を振り返っても中学校の頃から実際に「おじちゃん」でしたので全く違和感がなかったのです。姉が一回り上でわたしが中学2年のときすでに子供ができてわたしには甥っ子がいたのです。そうしてみると言葉はやはり文化そのものですね。今でもおばちゃんといわれて怒る人の心境がわかりません。でもそんな女性の感じはわかりますのでそういう女性にはあまり近づかないようにしています。
これも君子危うきに近寄らず、でしょうか。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/02/26

大阪のおばちゃん

気の置けない人というと気持ちが通じる人のことで気を遣わなくていい関係をいいますが、学生時代初めてこの言葉を聞いたとき逆の意味にとり相手に大変失礼なことをしたことがあります。「気」が「置けない」からいつも注意していないと何をやらかすかわからないという意味かと勘違いしていました。相手は最大級の褒め言葉を発してくれたのにこちらは最低の人間に見られたとの勘違いでした。同じようなことは言葉や文化の違いでよくあるものです。特に女性との間では男同士のようにさらりと行けないケースが多いので困ります。


今回大阪に来てすぐに大阪のおばちゃんの洗礼を受けました。最近は大阪のおばちゃんのえげつないところが強調されているようですが私の子どもの頃は「おばちゃん」というととても親しみをもった信頼感溢れる呼称でした。実際20代ではあり得ないですが子どもの頃30代あたりの女性はすでに「おばちゃん」と呼んでニコニコ迎えられていました。勿論大人になってからですが熊本に住みはじめてからそんな気持ちで4、50代の女性におばちゃんという呼称を使うととんでもない逆鱗を買いました。すでに「えげつないおばさん」的なイメージが流れていた頃かもしれませんがそれにしても話している人の文脈からわかりそうなものでした。

逆に熊本では自分より年下の者に目上の人に酒をついであげなさいと指示する場合に「(酒を)ついでやれ」という言い方をします。先輩に酒をつぐのに「ついでやれ」という横柄な言い方は何だ!といいたくなりますが周囲を見ているとこういう言い方はどうも丁寧語扱いではあるらしいのです。熊本では「明日あなたの家に行くね」という会話も「明日来るけん」といいます。誰が?と聞き返すと「わたしが来るけん」となります。主語が相手にあるようなのです。わたしは山口にはじまって大分別府、熊本、ここから全国各地に旅に出始めたのでこういう文化の違いからくるカルチャーショックは慣れていますが、時々こういう文化、言葉の違いから来る争いを目にします。郷にいれば郷に従うという日本人の精神は訪ねて行った側はまずは相手の文化を受け入れるところからはじまるという優れた文化だと感じます。旅人は各地の文化の違いを経験していますが地元にずっと住んでいる人びとは文化の違いを知らないのですから。

ここまで書いて熊本のおばちゃんたちを怒らせてしまったのは自分の方に責任があったと気づきました。まだ4県目とはいえ歩いているのはわたしだったのです。共感を得ることの難しさを日々感じているところですが一人一人の間には深い深い溝がありますね。好きになってしまうと消えるのですが。愛憎はコインの裏表、一つ間違うと真逆になります。「君子危うきに近づかず」も賢い大人の知恵でしょうな。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/02/21

日本一の富士山

表紙の富士山はたまたま新幹線走行中に携帯で撮影したものです。いつも新聞やパソコンに集中していてもふっと気づいて見上げると富士が見えることが多いものです。そしてさらに気づくのが手前にある工場群。結構煙を吐いているものもあり、きれいな富士山だけが映っている写真とは違う印象です。暮らしという視点から見ると確かに工場群は目の前に!富士山だけの美しい姿を追っているカメラマンならあちこちと歩き回る。昔は後者ばかりしていたので邪魔なものを切ることを覚えていました。今は「今いる」ところからはじまるのでこのような写真やアングルが自然と増えています。住民ディレクターという視点がここにあります。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/02/20

「父親殺し」から「父親生かし」へ

父親と話したという記憶はほとんどありません。別に若死にしたわけではなく90歳手前までの長生きでした。父はシベリア抑留兵だったので帰国が随分遅れ、日本に帰った時はすでに母や祖母が食堂をやりくりして家族、親戚が食いつないでいたようです。最近シベリア抑留体験などの書籍を読むと、なるほど相当ひどい扱いをされ、帰国後の日本でも辛い立場にあったことがわかります。就職もままならなかったようなので父の屈折した無口はそこから来ていたのかな、と最近やっと理解できるようになってきました。そんなことにも無頓着で大学に行き出した頃から父と公然と酒が飲めるようになったと思い、誘いましたが自宅で飲むだけで別に口は開きません。それでも少しずつ重い口を開いては兵隊時代、シベリア時代の話の少しだけを聞いたように覚えています。が、核心には至りませんでした。父からするとそこまでをどーんとキャッチできるわたしの状態ではなかったのでしょう。


90歳直前で病院のベッドではありましたが苦しまずに亡くなりました。わたしは最も忙しそうにしていたテレビ局時代のど真中で入院してからもろくに見舞いにも行きませんでしたがこの時は珍しく故郷に帰り見舞いました。結局たまたまわたしが一人で看病している時にやすらかに永眠しました。わたしが帰郷し見舞った時の瞬間にとてもうれしそうにこちらを見つめた瞬間をはっきり覚えています。ですから悔いはないのですが、父にしろ一昨年亡くなった母にしろ産み、育ててもらった恩に対して十分還せてないという気持ちは山ほど残っています。その気持ちは次世代のさらに次々世代のさらに・・・、と子々孫々にわたって還す気持ちはずっとあります。人間として生をいただき今ある幸運に感謝し、感謝の気持ちは後世に表していこうと考えます。今あることの感謝も勿論です。


そんなこんなで昨夜杉並区の親父さんたちとご一緒させていただき自分の親ではないからこそざっくばらんに話せて語っていただいたものを感じます。男と男にはやっかいなものがあり、昔から「父親殺し」というテーマは文学の永遠のテーマです。父親に頭を抑えてこられた人達の話をよく聞きますがいつもうらやましく聞いてました。無口で年が離れすぎていることもあってほとんど対立関係には無く、かといって存在感も希薄だった父の存在は今頃気になり出しています。わたしがしようとしているのは父親生かしです。杉並教会通りの親父さんたちとの飲み会はあらためて「父」を考える貴重な場でした。感謝です。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/02/14

再びイマジネーションとクリエイト-(2)隠密剣士

SNSが出たときは子どもの頃のテレビ番組でいつも見ていた隠密剣士という時代劇が閃きました。主役の大瀬さん演じる隠密剣士はいかなる時でも切られて死ぬことはありません。しかし、毎週大瀬さんに切られて死んでゆく悪者たちの手下が10人以上でてきてはばったバッタと死んでいきます。
今切られたあの人の子どもはどうしてるんだろう?お母さんは探しにくるんだろうか?誰が知らせてあげるんだろう?・・・などと悪者が切られていくたびにその人の家族をイメージしていました。家はどんな家で犬はいるんだろうか?などと考えているうちに隠密剣士よりは切られた悪者の人の人生に入っています。しかし、テレビは場面変わり隠密剣士の爽やかな笑顔と御礼をいう善良な人びと、みたいに展開し気づいたらオロナミンCをもった崑ちゃんこと大村崑が眼鏡をずりおろして笑っています。CMで隠密剣士の人生どころか悪者の家族も吹き飛びます。
しかし、この時の発想は実にSNS、Mixiでした。気になる人のホームに行くとその人の人となりが見え、家族はないまでもトモダチにも行けます。私には子どもの頃の隠密剣士で見たかったものが出てきた感じがしました。
今はIphoneです。テレビ局を飛び出しまちづくりのサポートをし始めた頃、シャープのザウルスを使っていました。いわゆるPDAの初期の優れた道具でした。個人事業を始めた平成8年春にはすでに名刺には携帯番号のみ、社員の代わりにザウルスひとつとビデオカメラ、パソコンを持って全国を歩きはじめました。
その頃にザウルスでイメージしていたことは、いずれこのザウルスが携帯になり、ビデオカメラになり、新聞や本も読めるものになり、即座に辞書や辞典が引け、最も重要な役割として最高のメモ帳になるということでした。当時すでにメモ帳ではありますがグーグル機能はもちろんないし、映像を貼付けるなんて容量からして無理でした。
何年かかるかわからないけれどいずれオールインワンになった時、素人カメラマンと勘違いされている住民ディレクターの本来の姿が見せられるのではないか、と想像しました。そのビジョンを元にこれまで約14年間動いてきました。ですからコンセプトが合わない民放や行政、大手IT企業などともさらりと決別してきました。




八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/02/11

イマジネーションとクリエイト

同時進行ということは最近よくわかります。想像性と創造性。想像性がないと創造性は産まれず、想像性は余計なものが無い状態、何もないけれどある状態。武蔵の剣は無の状態ではあったのだろうけれど・・、Now&Here、何も無く、でもある状態。書くとどうも禅問答のようになってしまいますね。

八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/02/09

ツィッターの使い方

「今どうしてる?」という質問に応えるのがツィッターの書き込みのようですが、「今、何に感じてる?」「今、何に考えてる?」という使い方があると考えています。どこにいてもいいから今この瞬間に何を感じ、 何を考えているのか?、その動きが伝わることで何かに役立つのであれば・・・。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/02/07

ツィッターとしか書けませんが

アルファベットがまだ浮かばないほどのものですが、はじめました。最初は説明が英語で書いているのでついつい用心深くなってしまいます。ヘルプでみつけたマンガアニメによる説明が気に入りました。今自分自身がマンガでの表現をはじめていたところでしたので、使い方にヒントを得ました。Now&Hereをはじめても常に時間差が気になります。その瞬間瞬間の気持ちはテレパシーで送るしかありませんから、どうしても遅れます。時間が経ってからある時間の気持ちを書いてもそれは随分過去です。
ツィッターにしてもその瞬間瞬間はやはりずれることは前提ですが、少しでもホットな瞬間に近い気持ちを、と。
言葉の表現の限界を益々感じるこのごろです。



八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/02/06

星、小鳥、せせらぎ、木々

二日間、携帯もネットもつながらないところにいたのであきらめがつきました。無いなら無いで何とかなるのはわかっていてもこれだけ便利になっている世の中ですからついつい反射的に携帯やネットメディアにスィッチをいれてしまうことはあります。条件反射のようなものです。

つながらないなら人と会う、話す、読む、そしてネットがないということは自然に恵まれているところですから何よりも自然との対話が増えます。この二日間、こんなにあったのか?!とあらためて驚くほど満天の空いっぱいに広がった星たち、さらさらと流れる透明のせせらぎ、きらきらと光る岩の上を楽しそうに飛び回る小鳥たち、田舎屋のすぐ近くにまで遊びにきた狸、風に揺られざわざわと揺れ動く木々、枝、ひとつひとつが心に響きます。

ご飯もみそ汁も梅干しも漬け物も自然を感じながら食するといっそう美味しさが増します。身体全体が真綿のようにじわりじわりと自然の恵みを吸収している音が聞こえるような二日間でした。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/01/31

若いまま生きるには

昨年の秋に20代半ばの女の子から「青くさい」といわれたことを思い出し、考えています。思い出すきっかけは一昨日大阪で親しい仲間と食事をしている時にたまたま別の20代半ばの女の子がいてわたし自身はあと50年は全国を歩き、元気な人びとを応援しつないでいく仕事をするとの話をしていたときでした。わたしと同じ年格好の男性は「あと5年」と冷やかしましたが自分の中では5年なんて感じは全くなくてやっとスタートに立った今、あと50年は働き特に若い人のお役に立てるように生きられる環境を創る一人として生きると考えています。

昨年からスタートラインにつくためにゼロスタートを繰り返し、何度も何度もリセットし準備をしてきたのです。どんどん自分の中から余計な物がなくなり身体が軽く軽くなっているのです。20代の頃の瞬発力は若干衰えているかもしれませんが、逆に長期戦、持久戦は今の方があるのではないかと感じます。1500メートル持久走が苦手でしたが今なら結構いけるのではと感じます。

今朝も昨夜遅くまで京都で仕事をしていたので夜行バスで東京に移動しましたが、20キロはあるリュックと30キロはあるキャリーバッグをもって東京の長い道のりを歩いてきました。バスの中では久しぶりにぐっすりと眠り疲れはすっかり無くなってしまっていました。
身軽なのです。心配事や気になる事、身体の不調などが全くない状態ですから常に無の状態と感じるほどです。常に何もない状態で生きる事は若い頃からの憧れでしたし、求めてきたのですが、時間を超える世界である事がわかります。痴ほう状態である人が何月何日かを覚えてないという事がありますが、覚醒した状態で同じように今日は何曜日で何日か等という事が全く必要ない生き方があるのです。

1年間名刺を持たずに仕事してきましたが、先日やっとつくりました。新しい動きをするためにやっと必要になったのですが名刺だって無いなら無いで何とでもなるのです。無名、無肩書きの状態はまさに無を表す事だったのかもしれません。実際、人は裸になった時何も飾る物はなくその人自身であるしかないのでどんな人間も裸になればその本質がそのまま表れるのです。服やアクセサリー、パソコンやPDA、拳銃や爆弾などの武器、と人間はいろんな道具をつくり持ち歩いていますが道具も一切なくなった時、裸の人間は自分の身体だけです、頼れるのは。その身体を鍛えるのに走ったり、筋力トレーニングをしたり、ダイエットだとか言ってる人が多いですが田舎に行けばすぐわかります。田んぼや山や海、川で働く人達はとても自然で美しい肉体をもってしなやかに動く身体です。しかし心配事があるとかストレスがあるというのは都会も田舎も同じです。特に今のような時代は。

内面の輝き、心配事が何も無い状態、そういう経験が必要と感じます。わたしは幸い内面も身体もひとつで「今この時」の瞬間瞬間で生きる生き方を探求し実践されてきた人生のアーティストいだきしん氏との出会いから自分自身のことをずっと探求する習慣がついているので今に至ったと感謝しています。
幅広く多種多様な活動をされているいだきしん氏の主な活動のひとつであるピアノコンサートが明日もあり東京に戻ってきました。即興のピアノ演奏によって観客一人一人の生きてる状態を生命感応で受容し即興ピアノで表し、表現する事で本当の自分の状態を経験するという場を創造されます。
コンサート会場では一人一人は自分の生きてる状態を音で経験し、同時に他者との交流を音を媒介に経験します。媒介するということではいだきしん氏の即興の音は生き生きと生きる力を媒介するメディアともいえます。

関心のある方は下記いだきHPを参照してください。
青くさいと言った彼女にわたしがどう映ったかはよくわかりませんが、久しぶりに会った熊本の人達からは「変わらんね」とみんなから言われましたのできっとずっと青くさいのでしょう。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/01/25

少年と生活

男にしか通じない「あ・うんの呼吸」というのがどうしてもあります。ジェンダーの話にしてしまうとややこしいのでそれが社会的環境に影響されるとしてもやはり生来「男」がもつ特性と感じられるある感覚です。自分自身のことを見つめると昨年の後半ぐらいから「男」の世界の居心地の良さ、というか、きつくてもそこにはある種バランスよく居られる空間を深く感じています。それは尊敬する いだきしん氏 という男の中の男、人間の中の人間、男女を超えた人間的な人間である方を知っているからでもあります。いだきしん氏は別格としても今年に入って「男」を感じる人達との出会いが続きます。


不思議なもので女性への関心が絶えないのはあまりにも違う存在だからだと感じます。しかしある地点にはどうしても女性には通じない世界があります。かといって生きることに後ろ向きになってしまっている男性には通じないこととも感じます。それは「少年」に通じるある感覚だろうという気がします。昨年以来「少年」の心をしっかりともっている男たちとの出会いが多くなっている感じなのです。


住民ディレクターNewsでは「生活」がキーワードと書きましたが、そこに「少年」が加わると男にも日々の生活が生きてくるように感じます。




八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/01/18

1分と11分の違い

東京に戻り研修会場に向かっていると地下鉄○○駅から徒歩1分、と書いてあったのですが駅に着いてみると往けども往けども出口がない。結局出口を出るまで約10分、勿論こちらはいつものようにフーテンセットの特大キャリーバッグと10数キログラムのリュックを持参しての歩き。とはいえ、鍛えた身体なのでそんなに普通の人の歩きに遅れをとるものではない。出口を出るのにまた階段があって合計25キログラムを抱えてやっと出たところで確かにそこからは会場まで1分でした。

駅の出口までをプラスすると11分、表現するなら地下鉄を降りてから11分ということだろうか?駅から1分と、降りてから11分では印象が全く違う。しかし、お客さんを向いた表現はどちらかというと11分でしょう。その方が時間の計算を確かにして遅刻せずにすむし、助かるお客さんが増えることだと思います。勿論わたしは30分以上ゆとりをもって出たので大丈夫でしたが今からアントレプレナーの研修を受けるところですのでこのホテルの経営者の立場で考えると結論はそういうことでした。

人間的に経営することが前提ですね。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

2010/01/10

「健康」から生まれた農林業への閃き

あれはもう何日前のことだったか?と感じることがよくあります。兵庫県佐用町の江川集落の皆さんにくっついて鳥取県倉吉市にツーリズム研修?に行ってきました。今朝6時過ぎに夜行バスで東京新宿に戻った?のですが、考えてみれば倉吉は昨日のことでした。

8日の午後に東京を新幹線で発ち、その夜8時半頃に佐用町に着きました。すでに集まっていた江川集落の皆さんと水害から復興して活発に商売されている飲み屋さんで落ち合い、その後山の中、江川集落の久保さんのご自宅に民泊?へと。復興についての構想等を話していたら午前1時を回っていたので休みましたが、9日の午前7時には起きて2台のバスに57人が乗って一路倉吉へと向かいました。そうそれが実は昨日だったのです。

夕方6時半には佐用に戻りましたが、それから姫路まで列車で移動し、姫路から何とか夜行バスで東京に帰り着いたというわけです。バスには9時間乗っていたのですが要は東京から兵庫経由で鳥取県を1日半で往復してきたということでした。
ずっと前からこんな生活をしているので自分ではどうってことはないのですが、今朝新宿に着き地下鉄に乗って四谷駅の階段を上がっている時に、ふっと「健康だなあ・・」とつぶやいていたのです。背中にはパソコンやカメラが入っているリュック、右手には機材と生活道具一式が詰まった大きなバッグをもっていました。

つぶやきというとツィッターというのが流行っているようですが、今朝のつぶやきはまさに思わず身体の奥深くから漏れ出たつぶやきでした。「健康」この貴重なもの、長い年月を経て確実に手に入れてきた「健康」は最も尊いわたしの財産です。しかも夜行バスの中でも元旦から続く閃きがずっとあってゲームのように、いや、ゲーム以上に楽しい頭の体操になっていました。眠くないのです。少なくとも疲れて寝入ってしまうことはないのです。

勿論、今もアイデアを描くためにノートと鉛筆、パソコンを揃えコーヒーをいれたところです。「健康」から生まれる発想、閃きはすぐに行為、行動につながるアイデアです。動く為に描いてみるという作業になります。動くと人と出会い、出会うと交流する中でさらにアイデアが弾(はじけ)ます。楽しいのでさらに健康な生活が続く・・、そんな感じです。

倉吉市での研修よりも研修の往復バス車内で江川集落の農業、林業、牛飼いを全部やっておられる大先輩や農協を退職して集落の活性化の為にアイデアを実現に移す為に動いておられるお二人との話が絶えず、アイデアが次々と生まれ、早速実践してみようと心が弾みました。昨年から佐用町に住むべく住家を探していましたが今年に入って本格的に考えています。

農業、林業は今から20年ほど前から自分の取り組むべき分野との自覚があり、阿蘇の小国町や山江村をスタートに解決方法を模索してきました。当時はほとんど素人同然の状態でしたから農家に弟子入りしたり、猟師のイノシシ狩りについていって山の実態を歩くことなどを続けていましたがその後全国各地の山や田畑を歩き、人に出会い、何とかなる道筋はほのかに見えてきました。住民ディレクターが本領を発揮する時が来たとも見えます。

と、いうわけで1日半で往復してきた佐用、倉吉の旅は農林業との新たなる出会いでした。

@雪景色は倉吉に向かう途中 2010.1/9

八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism

2010/01/03

寅さんはNow&Hereの達人

久しぶりに見ました。寅さん夢枕編、マドンナは八千草薫さん、「男はつらいよ」のタイトルがこの夢枕編に凝縮されているような作品でした。

それにしても寅さんはまさにNow&Hereの生き方そのもの、達人ですね。「今」の瞬間瞬間に生きているからあっという間に気持ちも切り変わるし、ついさっきのことなんかすっ飛んでしまう。特にマドンナと出会うとそれが著しいところは見事です。

恋については常なる実践者で「恋とは何か」を語れば右に出るものはなし。「我事に於いて師なし」とは宮元武蔵の言ですが寅さんにはおもわず師匠!といってしまうほどの魅力がありますね。しかし寅さんはやはり寅さん、一人一人全く違うのでやはり師はなし。自らの存在を極めるのみですね。




八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism

真正月

アーティストいだきしん氏の搗かれたお餅とコーヒーをいただいてきました。京都東山にある八坂の塔(聖徳太子が創建されたといわれる五重塔)のすぐ前にできたカフェギャラリー高麗(こうま)のオープニングセレモニーでもありましたが、いつもながら見事な餅つきでした。2010年は実質的に今日からスタートです。







八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism

2010/01/02

「ゼロの焦点」に合わせるプロセス

松本清張「ゼロの焦点」の映画を見ました。本を読んだのは学生時代だったのでストーリーもすっかり忘れていて最後まで楽しめました。昭和32年が舞台でしたのでわたしがまだ4歳の時の話ということになります。町の光景や電車、工場の中など時代の記憶を辿りながら見ました。

「砂の器」もそうでしたが人が生きることはすでに何らかの過去を引きずっているという時代で、一人の人間を追えばそれで十分ドラマになる時代でもあったと感じます。もちろん毎日忙しく暮らし、テレビが唯一の娯楽のような時代に入りつつあったときですからごく普通の庶民にとっては犯罪など全く関係ない世界だったでしょうが。
工場を切り盛りしている社長、その妻、手が荒れた受付嬢、無口で陰のある男・・・、と登場人物は戦争という大きな渦の中でかき回され、仕方なく暗く重い過去を背負っているというメッセージがあったのでしょう。そして誰しもが新しく出直したい、ゼロにリセットしたい、との気持ちを持ち続けていて実現しようとするとそこに悲劇が・・。

社会派といわれた松本清張さんの世界に登場する人物はある種全員がゼロの焦点を探りながら生きている人間だったような・・・、かく言うわたしはこういう方々からするとごくごく普通の庶民ではありますが庶民ながらにやはりゼロの焦点はずっと探し求めてきたところです。Now&Hereはまさにゼロの焦点、そのど真ん中を表現していくブログになっていければと考えています。



八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism