2010/04/29

太陽の季節

 5元中継について色々と整理していたらあっという間に夕方になってしまいました。昼に東京を歩いていて「太陽の季節」を感じました。やっと夏の太陽になってきた感じでした。この春は寒暖の変化が激しく日は差してもどこか冬の日光の名残がありました。最近は天気予報等はあまりみないので今後どうなるのかはわかりませんが体感的にはやっと夏への移行がはじまったと感じます。


 夏です。わたしは夏が大好きです。きっと生まれたのが夏だからです。8月のど真中です。東北の厳しい冬の文化には憧れやとても深いものを感じるのですが実際に行くと苦手です。寒い。寒いのは本当に苦手で頭が働かなくなってしまいます。夏はわざわざ日陰を避けて日射の強い通りを選んで歩くというほど太陽が好きです。名前も日光が一緒になった晃というのは母の直観でだったのでしょうか、命名は母でした。


 アフリカが性に合っています。これまでの人生ではシナイ山に登った時が最も身体が喜んだときでした。カモシカがとんとん飛び跳ねて走るようにシナイ山の坂道を登っていったことが記憶に新しいです。降りるときはあっという間に走り降りてしまいました。空を飛んでいるかのように身体が軽く浮いているかのように足が道を感じないのです。


 さあ、いよいよ夏です。途中に梅雨がありますが夏の前の雨は気持ちいいほどです。水害だけは何とか避けたいのですが・・・。夏に向けて今日は身体も頭も軽いさわやかな日です。

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2010/04/26

阿吽

 スケジュール管理は一人でやるのは問題ないが複数人とやる場合にいつも困る。自分ではおおよそ到達点はみえているのだが、メンバー全体でどこまでどのように動くのかというのはまさに総合プロデュースの問題だ。恊働作業という場合はそこを可視化しないといけないのだがここが苦手だ。テレビ局時代からいつも企画は20から30のものを同時進行していたのでスケジュール管理は書けば膨大な量になって整理することで毎日が終わってしまう。仕事にならない。かと言って可視化しないと効率はあがらないので結果的にはプラスマイナスがどうなるか?という議論はある。しかしいずれ自分のやり方では限界はある。規模の問題も大きい。


 今はこれまでにない企画や事業ばかりを数はいっぱいやっているがひとつひとつの規模はまだ小さい。だから可視化せずとも何とかなる。同時に規模が大きいものをやることになれば当然複数人のサブプロデューサーが必要となる。というよりも事務局長だ。言い方を変えればデスク。テレビ局時代は一応予算はある仕事なので大きな仕事を同時にいくつもやっていてもそれぞれにアシスタントプロデューサー(事務局長)を雇ってやれた。今はそこはシビアな現場が多い。だからこそ一人一人の信頼関係と阿吽の呼吸が最大の技術になる。


 企画の主旨、コンセプトを言わずとも理解してくれる恊働者が多いときは大きく動ける。道具は簡単で低コストに限りなくなってきた今の時代はそういう意味でもいよいよ人間力の時代だと感じる。時代環境も昔のようにいつどうなっていくかわからないので即興的に即断即決できるスタッフがいかに強い絆で結ばれているか?企業でもNPOでも地域団体でも同じ状況にあると感じる。仕事を通して身につけていくOJTしかない。


 現場共有の中で野球のオールスターのようにそれぞれが最も得意とする守備や打順に入る。そこを無理なく美しくアートできるかどうかが総合プロデューサーの力量なのであろうと考えている。ただし総合プロデューサーやディレクターや事務局長、それぞれのスタッフに優劣はない。これはゲームなのでルールがあるだけのことだ。そのルールのある中でわたしはたまたまプロデューサーがどうも性に合っているというだけで、事務局長を任命されたらきっと鬱病になってしまうほど苦手だ。事務は全く苦手なのでできることをやっていたらプロデューサーのような仕事になっていったというだけのことだろう。


 一人一人が資質を活かす仕組み、柔軟な組織が今必要になっている。「地域」、「社会」、「世界」もそのまま当てはまるのではないだろうか。


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2010/04/25

時代は今

 メールが普通になった頃から仕事量をそれまでの数倍こなす時代に入っていきました。なにしろ電話のように「今忙しいからあとで」はきかない、実際に後で読めるものだからメールは。しかも残っているのであとで読んで返事することが可能なメディア。あれ以降、深夜にメールに返信するのが当たり前になった、そしてブログやらSNSやらセカンドライフやら色々あってツィッター、Ustreamになった。今は24時間戦えますか?の時代に突入しました。


 しかし本当は企業戦士のように戦うのではなく、24時間、ゆるーくいろんなひとたちとつながる時代と考えます。ゆるーくが味噌で、ゆるいからこそこれは「戦う」のではなく「助け合う」、「愛し合う」方向に未来があります。そんな時代にきてこれまでの日々の実践が大きく活きる日常になった。メディアがやっと人々の生活を助ける機能を発揮しだす。しかし活用するひとびとのやさしい気持ちが動かすので頭や知識や思い込みでのコントロールは出来なくなっています。


 大変な時代ではあるがとてもいい時代に変わる可能性も非常に大きい時を感じます。


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2010/04/21

光る!高橋さんのつぶやき

 今日は杉並TVの高橋さんがJCOM東京に登場する。きのうまで一緒に出演する教会通りの皆さんのサポートをしいていた高橋さんは自分も出演するのに何も準備できてない、と今朝になってあせった。本当は「今日こそツィッターのつぶやきが活きる日」、とメールする。「了解、準備が済み次第に」しかし、ツィッターはその時々の瞬間瞬間の気持ち、本音が伝えられると最大の効果を産み出すメディア。生中継、ライブ感覚が勝負!「終わってからではなあ・・」、と考えつつまずはわたしがつぶやく。するとすでに高橋さんのつぶやきが!
「・・とおもったけれどまずはこの危機的状況をつぶやきます」とのメールもあった。さすがに住民ディレクター!これぐらいの度量がないとね。頼もしい高橋明子さんです。今日は彼女のつぶやき、注目です。




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2010/04/17

電話しますか?

 現場が続くとパソコンを触る時間がない。だからどうだという訳でもないが、ネット時代でネットだけで連絡をしてくる人もかなりいるので長期にわたってお待たせすることが増えてしまう。こういうときはさっと電話をくれればよかったのにとおもうが意外と電話の習慣が無くなってきている。

 面倒くさい?電話代が勿体ない?それほど急ぎでもない?敢えていえば3番目だろうと思うがその割にはメールでは急いでいるような口ぶりだ。待たせてしまっているので大変申し訳なく感じてしまう。しかし、うっかり忘れているのに気づいて慌ててこちらから電話すると意外と落ち着いている、ということも多い。

 わたしの仕事相手はわたし以上に現場肌の人が多いので電話がまだまだ多い。メールしていても向こうから電話が入る人が多い。ネットに弱い?確かにそれもあるが即決即断の人が多いということが最大の理由だろう。話は早い。ネットを通していると却って何倍もの時間がかかる案件。そういうものまでネットを使うのはどうだろう?

 相手が忙しいだろうからと敢えてメールで依頼していた件でなかなか返事が来ないので電話する。慌てて謝られるが、またしばらく返事がない。電話する。それでも動かない。こういうケースはよっぽど忙しいのか、仕事にならないと考えているのか?だろう。申し訳ないという気持ちも伝わらない場合は即決即断で別の方に依頼する。

 ネットだけで仕事している人がいるらしいが、完全都市型だろう。少なくとも田舎や過疎地、中山間地や離島の方々、勿論、高齢の方々と仕事すると電話のない仕事はまだ考えられない。
 電話でもネットでも勿論顔を合わせても仕事は気持ちよくしていきたい。




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2010/04/14

渋谷の夜から岡原村へ

 渋谷の夜を久しぶりに歩いた。正直言って疲れる。膨大な数の人々とすれ違うが、顔を見ていると声をかけたくなるような人はほとんどいない。随分前の話だが、熊本県の人吉球磨地域に岡原村という小さな小さな村があった。その村役場のまだ20歳そこそこの青年が東京に仕事の関係で出てきた時のこと。電車やバスでお年寄りがあまりにも大切にされてない状況を見て自分は都会には出ない、ときりっとした瞳で話していた。曰く「ばあちゃんやじいちゃんが可哀想だ」ということだった。

彼は毎日相良(さがら)33観音という地元の仏像が置かれている観音堂を掃除してお参りしてばあちゃんやじいちゃんがお参りの後にゆっくりと座ってのんびりと過ごせるようにそれはそれはきれいに掃除していた。実際、毎朝掃除する前は丁寧にお辞儀してから観音堂に入り、ほうきを取る時もいちいちお辞儀する。わたしはその頃まだテレビ局のプロデューサーで彼の毎日を取材して番組にする立場であったけれど、その彼の姿勢を見せられて本当に頭が下がっていった記憶がある。

人吉球磨にはこういう青年や女性が多くいて訪ねるたびに人間としての基本を若い彼らから学んでいた。今、彼はどうしているだろうか?きっとやさしい彼女と結婚してばあちゃんやじいちゃん、両親、兄弟姉妹と仲良く暮らしているだろう。長い時間が経ってやっと彼らの時代がきた。わたしはやっと彼らに恩返しが出来る時を迎えていると感じる今日この頃である。


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2010/04/12

雨音

   沈思熟考しているときはツィッターとは縁遠くなります。自然と内面で自分自身だけにつぶやくからですね。しかもごく自然につぶやきが生まれるので熟考が深まります。ツィッターでは当然いろんな人が遊んでいる広場で他者に聞こえるようにつぶやく(叫ぶ?)から最初から他者の反応を気にしている分、本音というよりは頭で考えたことが出やすいですね。それでもツィッターのつぶやきでとても素直に気持ちを表現している人、特に女性が多いのですが、に出会うと自分の気持ちも素直に動きます。

  しかしだんだんと彼女の頭が出てきて、気持ちが追いやられてしまうことが多いです。ほかの人の反応やRTが入るとどうしても感性よりは考えや想いが強くなってしまうように感じます。元々この場を作った直後にツィッターとの出会いがあり、便利なのと珍しいのでツィッターを使っていましたがだんだんとツィッターの世界の色合いが見えてきました。ツィッターはやはり情報交換の場として今は盛り上がっていると感じます。


 気持ちや本音は情報や時代を抜きにしてNow&Hereにこそ生まれ続けます。そこから創造性が働き、身体が無理なく動きます。なぜか雨の多い季節ですが雨音も沈思熟考に適している自然音のひとつです。



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2010/04/02

タケル

 10代はほとんど兵庫県から近畿地域にいた。20代直前から半ばにかけて中国・四国地域にどっぷりいた。20代半ばからは九州を随分と歩いた。そのまま熊本に中心を置き、全国行脚がはじまった。しかしこの頃はテレビの電波に乗っかっていることが多かった。40代前半からは自らの足で日本列島を歩きはじめた。同時に海外も歩いたがこれはまだ自分の足ではない。

こうしてみると九州とのご縁は不思議だ。網野善彦さんに寄ると沖縄、西日本、関東、東北以北は元々違う国だといわれている。国というのはプリズムでいう「國(くに)」のことと近い感じだとおもうが大きな地域のことだろう。たまたま京の都の外れの加古川という土地に生まれ、西へ西へと向かっていたら突然、逆流のように関東、北陸、東北へと流れが動いた。

ヤマトタケル、クマソタケル、イズモタケル、・・・自分史を紐解くと結構不思議な旅をしてきている。学問的には全く頼りないが八百万(やおよろず)人紀行はそんな自分史の紐解き作業でもあると感じている。名もなき人々の小さな営みが重なり合うように繋がって創造されるある何かの力。住民ディレクターといい、Action Media というのはそんな小さな営みが無理なく繋がるように土壌を開拓する人との出会い、道具の開発を求める気持ちが自分自身の奥深くにあるから。






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ビル街の桜並木と水上村の桜大観

 六本木の夕方と夜の桜を堪能してきた。桜といえばいつもは大自然の中に広がる桜大観や田舎町の沿道、村の公園にパノラマのように広がる桜並木などを楽しんできた。今年は東京の桜だ。先週福岡県東峰村の3分咲きの桜には出会ったが。

 桜というと熊本県球磨郡水上村の桜が恋しい。ダム湖の周辺に何万本だったか?延々と桜並木が続く。テレビ局時代にもよく通ったが、ある番組で桜の季節に女子大生リポーターが散策するコーナーを制作したことがあった。その大学生の子がまた桜に見事に映える容姿をしていて服もセンスが良くて本当にぴったりと合っていた。

 その女の子が歩いた桜並木は作家の水上勉さんがこの村を訪れたときに水上村の「桜大観」と表現してくれたそうだ。当時はあまりピンときてなかったが、今はその水上さんの言葉が身体に浸みいるように感じる。ビルを背景にした東京の桜でさえ同じように感じる。子どもの頃は桜が咲く季節はあまり好きではなかった。今日のように風が強くいつまでも寒かったせいだろうとおもう。

 寒いのが苦手で、春らしく気温も緩んでできたと感じた次の瞬間、まさに強く冷たい風が吹き、あっというまに冬に戻っていくような感覚がとても苦手だったのを思い出す。そういう季節として毎年同じ経験をするので春は嫌いだった。もともとアフリカのようなギラギラの太陽が身体を突き刺すような季節が一番好きなので、わたしとしては桜を過ぎてからが本番という感じだった。

 夏に生まれたということがその身体感覚をつくっているのかとも考えるが太陽、青空、汗、冷たい水が最も身体が喜ぶようだ。東京の桜も明日明後日の風と雨で終わるのだろう。桜は確かにいつもはかない。花の命は短くて・・・。

 



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