2010/10/30

テレビ文化

  平成5年に熊本県の免田町(現在は合併してあさぎり町)でご先祖であるクマソのことをテーマにドラマを制作したときに番組の時間の流れ方を考えました。

   普段は東京や大阪などの都市住民が視聴者の中心に置かれて作られる番組はテンポは速く次々とシーンが変わります。ドラマだってトレンディードラマといわれ映像効果も華々しくCMのように瞬きしている間に次々とシーンが変わっていきます。音楽は常に流れ効果音もひっきりなしです。

 昭和28年に生まれたテレビはそうやって時代の動きに合わせるかのように、いや時代を強引に牽引するかのように速いテンポで次々と変わる映像と音楽で商品を売ってきました。いかにも美味しそうでいかにも買ってみたい車や電気製品、衣料がかっこいいモデルとともに出てきます。実にわたしたちは57年に渡ってこのテレビのスピードや演出、映像、音楽に親しんできました。地元の神楽の笛太鼓や祭りのお囃子よりも流行歌やロックやジャズを見聞きする機会が圧倒的に多いのです。テレビをつけている限り。

 東京や大阪だけではなくこの57年間は中山間地や離島などの過疎町村に住んでいても頭は東京や大阪の住民と同じように都市的なテレビテンポになってしまいました。地域活性化を考えたときに免田町のある役場職員は先祖クマソの生活文化の底流に流れる感覚を取り戻さないとすすまないと感じていました。免田町には素晴らしい臼太鼓踊りという伝統文化があります。ゆったりと流れる時間の中で今でも地区の座元の庭先で踊られる臼太鼓踊りはテレビのスピードとは全く違って悠久の歴史を歩んできたクマソの生活をそのまま感じさせます。そこでクマソ復権のドラマ作りではテレビ時間に迎合せずにクマソ時間を堂々とテレビの時間帯に登場させることにしました。

 県内でもどこの市町村もテレビ時間に慣れていますからクマソ時間は違和感があると予測しましたが、何よりも免田町の方々がこのゆったり時間がぴったりきたようでした。しかも放送後の県民の感想も最初は何となくテンポが遅くて違和感があったけれど次第に慣れるととても面白く見れてきた、という意見が結構多かったのです。東峰村で今この免田町のことを思い出しています。

 毎週1時間番組を更新しますが最初は周囲に溢れている都市的テレビの時間とはがらりと変わります。それは承知の上でとうほうTVはとうほう時間を取り戻していくための役割を担っていきます。3ヶ月もすればすっかりこのとうほう時間に慣れてくるはずです。急激な変化はなかなか受け入れられにくいので徐々に徐々に変化していきながら何よりも村民のみなさんに自分たちのテレビとして育てていただけるように今は耕している最中です。カルチャーは「耕す」と訳しそれが文化ということはとても納得がいくことです。




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2010/10/24

文化

 この1週間で東峰村から東京、そして東峰村から兵庫をそれぞれ1泊で往復して来ました。昨年までは東京と関西が一月のうちの3分の2ぐらいの生活をしていましたがこの8月から比重ががらりと変わりました。今は東峰村が3分の2で残りが各地です。本気で東京で借りている部屋をやめようかとおもっています。


 さて、東京の地下鉄に乗り、兵庫の列車に乗っていてずっと感じていたのは乗客の顔の表情の魅力の無さです。ほとんど眠りこけているようなサラリーマンやオフィスレディ?、携帯電話を睨みつけながらひたすら指の操作に専念している若い女性たち、とにかく恐い形相をしています。余計なお世話ですがビデオで撮ってテープを見せてあげようか、などと皮肉りたくなるほどの恐ろしい顔です。一点を見つめて他を顧みない固まった顔・・・、とにかくあまりまともな顔に出会いません。


 時たま東峰村にもいそうな素朴な表情の人がいて目が合うと思わずニッコリとしてしまいます。何となく通じているのか?相手も気持ち悪がるでもなくニコッとしています。同じような気持ちでまわりの形相にため息が出ていたのかも知れません。東峰村に住み込んでから出会う皆さんの毎日の表情は豊かです。自然が美しく空気も水もおいしく、五感全体にやさしい気持ちを感じますがこれほど贅沢なことはないと感じます。


 六本木のむらおこしをしている頃はむしろ東京の木々のほうが元気でピカピカしていると感じた頃もありました。雑踏から溢れ出すエネルギーの力強さにひかれたときもありました。しかし、今は都会に再び力がなくなり東峰村のような田舎の自然とひとが無理なく融合している地域がやさしく力を発揮しているのを感じます。女性は化粧はあまりしてませんが自然派できれいですし、都会の女性のあの独特のツンとした感じがないのが何よりも安らぎます。ツンはツンで女性のある魅力につながるところもありますが、ほどほどでないと本人もしんどいでしょう。


 流行ということから考えるとやはりテレビが代表するメディアからのイメージに乗せられているようにみえます。本当に魅力的な人はどこにいてもいつも変わらずきれいです。心が顔にそのまま出ます。映像になると隠しようが無いほど露に出ます。豊な自然と溶け合って生きておられる方々は動きがきれいです。ここから文化や芸術が生まれて来たことを感じる今日この頃です。東峰村のテレビが新しい文化になって行く姿がみえます。



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2010/10/17

テレビ局を辞めた理由

 じいちゃんばあちゃんと相性がいいのは子どもの頃ばあちゃんに育てられていたからだとおもいます。基本的にばあちゃんは孫を可愛がりますしわがままが許されるので自分の好きなように振る舞うというのが自然と身についているのでしょう。長野の住民ディレクター講座でテレビ局を辞めた日のことを話していましたがある日突然の退職に至ったのも自分がやろうとしていることができない、違うことをやらされることにそのまま反応してしまったといま振り返ります。


 やろうとすることがあるのにそこ(テレビ局)ではできないことがはっきりして考えていることをやるための選択が「会社を辞める」であって結局は創ることでした。新しい場を創る。ある日のある晩、ある仕事をわたしにやらせようとする上司にその場で会社を辞めますと伝え帰ってきてしまったのは若気の至りとかではなくリンゴが熟してぽとりと落ちるようなものでした。実際に辞めたのは事務処理をしたり引き継ぎをして2ヶ月ぐらい後になりましたが気持ちはその夜に切れていました。


 決断というのはそういうものなんでしょう。あれこれ迷って決断するときもありますが自分の中でやれることを次々とやってきて次もハッキリ見えているのにそれができないならできるように決断する。少なくともあれから15年、今日現在はあの決断は正解でした。あの頃に構想していたことが目の前にきています。ずっとやってきましたから。




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