2010/05/03

事件

 小林秀雄さんの本は学生時代によく読んだ。というよりも小林さんの本以外は読めない時期がありました。もっといえば小林さんの本からいろんな作家の世界に入っていった時期がありました。小林秀雄さんは批評家ということになっています。ご本人の表現を借りれば己の夢を(他人の作品を通して)懐疑的に語ることが批評だといわれています。小林さんの書き方は一言でいえば作家の中に入ってしまう手法でした。「様々なる意匠」を取っ払ってその人の中に飛び込んでしまう。感覚としてはとてもよくわかったので小林さんが飛び込んだドストエフスキ―やランボー、トルストイ等の世界を垣間みました。


 中原中也という詩人に関しては小林さんにとっては決して穏やかに語れる人ではなかったのです。全集まで近づきましたし山口大学に行ったので自宅周辺をよく歩いたものでしたが人間のつながりの根本的なある何かを二人の関係を理解することから得ました。哲学者ニーチェや音楽家モーツアルト、骨董の青山二郎と文学にとどまらず小林さんの関心は人間の行為全般に渡っていたと感じます。従軍記者もされ多くを語られていませんが平和を考究された一人でもあると考えます。


 本居宣長を10数年かけて書かれたことが小林さんの最大テーマだったのでしょうが、「感想」というベルグソン論については途中で失敗を認め断筆しました。生前に家族や出版社に発刊を禁じていました。そのベルグソン論が全集のひとつとして発刊されていました。昨今小林さんの意志や意図を知らない研究者たちが手に入るかつての論文の断片を元に論じる傾向が増えたので「著者の意志を知らせるために敢えてその意図を伝えて」の出版という真摯な気持ちからでした。


 わたしはこの経緯を知りませんでしたが逆にこの出版された全集の一巻を先日本屋さんで手にして小林秀雄さんへの理解がさらに深まりました。「表現」ということの深さ、大切さを痛感した事件でした。


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