2010/03/03

はじまり・・・、27年前。

昨日3月2日は個人的に(でもないんですが今は)とても大事な日でした。その日にいつの間にか熊本に帰っているというのも不思議なことです。ざーっと振り返ると27年前、熊本のテレビ局に入って3年目です。やっとテレビ局の仕組みもわかり「ズームイン!朝!」や「24時間テレビ」、「11PM」など日テレの大番組も経験してテレビ局のネットワークがだいたいわかってきた頃でした。また熊本では98市町村を歩くニュース企画に乗り出した頃です。今は3分の1になりましたが当時は98も市町村があったのです。まだ山江村が熊本県にあること自体知らない頃です。

テレビのひとつひとつにとても時間がかかり手がかかりお金もかかることにやっと慣れはじめました。なにしろ30分のドキュメンタリー制作に1年をかけ、何百万という予算をかけ、100倍以上の取材テープを使うということが普通でした。機材が大きく誰でも簡単に使えないのが最大のネックでした。コンテンツを創る発想よりは撮影する技術、編集機を動かす技術がないと番組を作れませんでした。だから必ず技術者がパートナーとしていて彼の考えを通さないとカタチになりません。

産まれた地域も環境も性格も何もかも違う、しかもあちらは純粋理科系ですから発想は全く違うのでわたしが出そうとする表現が簡単には通じないのです。このイライラ感がオールインワンの住民ディレクターを産んだとも言えます。閃いた時に自由にやってみる、だめだったら即やり変える、それでもだめだったら最初のままでいく。というようなことが簡単には行かないのです。最初に戻るなら最初からそうすればよかったという実に非創造的な話に時間をかけるのです。

あーーーーーもうやめたっあ!若い頃は結構短気でした。

「あきらめ」です。スタートは。しかし、技術信仰の時代はあれから約30年、終わろうとしています。少なくとも暮らしの現場ではほとんどの技術がおじいちゃんやおばあちゃんでもやれる簡単で低コストのものになりました。

後は何が残るのでしょう?

ああでもない、こうでもない、やっぱり違うなあ、最初のものに戻ろう・・・、という柔軟な発想、自分でやってみて答えを出すやり方、そのプロセスです。創造の要は。

27年前、そういうスタートを象徴することが同じ日本の中ではじまっていたのでした。



八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

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