吉本隆明さんが84歳で講演がしたいとの話になって2000人の前で話す番組があった。自己表出、指示表出という言葉と沈黙の芸術、コミュニケーションのことばなど興味深い展開ではあったが流石に84歳という高齢で数時間の講演をされるというのは精神と体力のバランスが保てなくなる感じがしました。ただお顔を拝見していると89歳で一昨年亡くなった母と共通する表情をみつけ安心しました。いい年のとり方をした人はああいう表情になるんだな、と母を思い出しました。
それと脈絡はあまりないのですがお話を聞いているうちに自分の映像サポートのことが見えてきたりしました。元々芸術ではなく生活に根ざした企画ニュースのようなものですが、カメラも持ったことがない人が自分自身の関心があることをノウハウは勉強せずにいきなり撮る。その中に必ず撮りたいことが入っているのでそこを伺っていると何を伝えたかったのかがわかってくる。映像表現ということでは色々とやってきた自分は例えばこうするとどうなんでしょう?という編集をしてみせる。すでにこの段階でこの映像は限りなくわたしの作品になっているのですが、元素材は相手の人ですからあくまで相手の代理表現になります。
このとき相手は自己表出(表現)をしていてわたしは指示表出(コミュニケーション表現:相手にわかるように表現する。自己の裡から湧き出る「自己表現」でない)というような話になります。この言葉の定義はここで追求しても無理なのでこの辺にします。この話でいいたいことはわたしが相手にこうすればどうでしょう?と編集するその映像表現はもしかしたら課題解決表現かもしれないな、と感じたのです。相手は何かいいたいことはあるけれどうまくいえない。その状態で撮ってみる。そこにはいいたいことの素材は入っている。しかし、うまく編集は出来ない。その編集が整理できるとほとんどの方が気分がすっきりするといわれます。ある種の課題解決につながっているのでは、と吉本隆明さんの沈黙の芸術論を聞いていて閃いたことです。十分語り尽くせていないですが、このテーマはまた書くと思います。
八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
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