沈思熟考しているときはツィッターとは縁遠くなります。自然と内面で自分自身だけにつぶやくからですね。しかもごく自然につぶやきが生まれるので熟考が深まります。ツィッターでは当然いろんな人が遊んでいる広場で他者に聞こえるようにつぶやく(叫ぶ?)から最初から他者の反応を気にしている分、本音というよりは頭で考えたことが出やすいですね。それでもツィッターのつぶやきでとても素直に気持ちを表現している人、特に女性が多いのですが、に出会うと自分の気持ちも素直に動きます。
しかしだんだんと彼女の頭が出てきて、気持ちが追いやられてしまうことが多いです。ほかの人の反応やRTが入るとどうしても感性よりは考えや想いが強くなってしまうように感じます。元々この場を作った直後にツィッターとの出会いがあり、便利なのと珍しいのでツィッターを使っていましたがだんだんとツィッターの世界の色合いが見えてきました。ツィッターはやはり情報交換の場として今は盛り上がっていると感じます。
気持ちや本音は情報や時代を抜きにしてNow&Hereにこそ生まれ続けます。そこから創造性が働き、身体が無理なく動きます。なぜか雨の多い季節ですが雨音も沈思熟考に適している自然音のひとつです。
八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
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いだき http://www.idaki.co.jp/
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