2010/04/26

阿吽

 スケジュール管理は一人でやるのは問題ないが複数人とやる場合にいつも困る。自分ではおおよそ到達点はみえているのだが、メンバー全体でどこまでどのように動くのかというのはまさに総合プロデュースの問題だ。恊働作業という場合はそこを可視化しないといけないのだがここが苦手だ。テレビ局時代からいつも企画は20から30のものを同時進行していたのでスケジュール管理は書けば膨大な量になって整理することで毎日が終わってしまう。仕事にならない。かと言って可視化しないと効率はあがらないので結果的にはプラスマイナスがどうなるか?という議論はある。しかしいずれ自分のやり方では限界はある。規模の問題も大きい。


 今はこれまでにない企画や事業ばかりを数はいっぱいやっているがひとつひとつの規模はまだ小さい。だから可視化せずとも何とかなる。同時に規模が大きいものをやることになれば当然複数人のサブプロデューサーが必要となる。というよりも事務局長だ。言い方を変えればデスク。テレビ局時代は一応予算はある仕事なので大きな仕事を同時にいくつもやっていてもそれぞれにアシスタントプロデューサー(事務局長)を雇ってやれた。今はそこはシビアな現場が多い。だからこそ一人一人の信頼関係と阿吽の呼吸が最大の技術になる。


 企画の主旨、コンセプトを言わずとも理解してくれる恊働者が多いときは大きく動ける。道具は簡単で低コストに限りなくなってきた今の時代はそういう意味でもいよいよ人間力の時代だと感じる。時代環境も昔のようにいつどうなっていくかわからないので即興的に即断即決できるスタッフがいかに強い絆で結ばれているか?企業でもNPOでも地域団体でも同じ状況にあると感じる。仕事を通して身につけていくOJTしかない。


 現場共有の中で野球のオールスターのようにそれぞれが最も得意とする守備や打順に入る。そこを無理なく美しくアートできるかどうかが総合プロデューサーの力量なのであろうと考えている。ただし総合プロデューサーやディレクターや事務局長、それぞれのスタッフに優劣はない。これはゲームなのでルールがあるだけのことだ。そのルールのある中でわたしはたまたまプロデューサーがどうも性に合っているというだけで、事務局長を任命されたらきっと鬱病になってしまうほど苦手だ。事務は全く苦手なのでできることをやっていたらプロデューサーのような仕事になっていったというだけのことだろう。


 一人一人が資質を活かす仕組み、柔軟な組織が今必要になっている。「地域」、「社会」、「世界」もそのまま当てはまるのではないだろうか。


八百万人紀行(やおよろず・ひときこう) http://www.yaoyorozu-hito.jp/
住民ディレクターNews http://blog.goo.ne.jp/0811prism
いだき http://www.idaki.co.jp/

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